は根っからのヘビースモーカーであるので、
ヤフオクで落とした愛用のダメージジーンズのポケットには
携帯財布とともに当然のようにセブンスターと100円ライターが収まっている。
小学生の妹はが家に帰るたびにタバコ臭いと嫌な顔をしていたが、
近所のスーパーで煙草のカートンを買った際に
ファブリーズとハーゲンダッツを手土産にして以来何も言わなくなった。

しかし家族は誤魔化せても世間は容赦なく喫煙者を締め付けた。
まず路上の歩き煙草が禁止された。レストランでは全室禁煙が当たり前。
の通う大学も彼が講義をさぼっている間に喫煙室をすっかり潰して観葉植物の温室と化した。

(大学も家も、近所のレストランも路上も全て禁煙。どこで吸えってんだよ!)

池袋駅近辺には喫煙スペースもそここに点在しているが、は禁煙よりもずっと人ごみが嫌いだった。
つい少し前にはカラーギャングの抗争だので随分と街は物騒になっていたし、
一度は怪しげな薬の売人に「お試し」をしつこく勧められて以来、とんと繁華街には近寄らなくなった。

そんなある種臆病ともとれるの新しい喫煙スポットは、池袋の中心街から少し離れた小さな駐車場の一角に落ち着いた。
駐車場としての役目を果たす気が無いのか人も車も滅多に通らないスペースは、静けさを好むの趣味に実にふさわしい雰囲気である。
申し訳程度に置かれた二人がけのベンチと空き缶用のゴミ箱を兼ねた灰皿は、もしかしたら誰かが勝手に設置したのかもしれない。
けれど自分には関係ないことだと、は今日も今日とて小さな喫煙所に立ち寄った。

平日の真昼間。空は快晴、絶好の喫煙日和だ。
こんな日にどうして大学の講義なんかに真面目に出席できようか。いやできまい。
新しいセブンスターの箱を開けようとポケットをまさぐると、聞き慣れた革靴の足音が静寂の空間を揺らした。
は一瞬手を止めて、音の方角に首をめぐらせた。

(今日も来たんだ)

煙草に火をつけながら新たな来訪者の気配に意識を向ける。
滅多に他人と相席することの無いこの簡素な場所で、ごくたまに鉢合わせる常連の男。
他人に必要以上の興味を抱かないでも、常連の男は強く印象に残っていた。
なにせーーー金髪にサングラス、そして昼間の外であるというのに、常にバーテン服を着用しているのだから。

ようやっと一口目を肺に吸い込んだところで、常連の男がひょいと顔を覗かせた。
相変わらずの印象的な格好には軽く会釈した。
言葉を交わしたことはないが、こんな狭い場所だ。お互いの存在を無視するわけにもいかない。

バーテンの青年は静かにベンチに腰掛けて、ポケットから真新しい煙草を出した。
すらりと長く伸びた両足が窮屈そうに折りたたまれるのをこっそり眺めながら、
は人生の不公平を苦い紫煙と共に吐き出した。
イケメンバーテンと冴えない大学生。こんな場所でなければ顔をつきあわせることすらないのだろう。

(にしても、何探してるんだ?)

いつもなら数本吸ってすぐに立ち去る青年であったが、今日は少し様子が違った。
いつまでもポケットをまさぐり続け、何かを探している。
最初は携帯がなくなったのかと思ったが、彼が煙草を吸っていないことでは事情を察し、
左手に握っていたものをそのまま突き出した。

「火、どうぞ」

バーテンがきょとんとと目を合わせた。
まさか話しかけられるとは思っていなかったのか、何も言葉を返さない。
が、突き出されたライターに 気がつくとおずおずと受け取った。

「悪いな」
「いいえ。そこに置いといてください。好きに使ってくれて構わないですから」

一本では終わらないだろうと気遣えば、青年は照れたようにありがとうと呟いて灰皿の淵にライターを置いた。


は生まれも育ちも池袋である。
二十年、池袋で生きていれば誰しもが直接的、あるいは間接的に「平和島静雄」の名前を、 その印象的な容姿を、噂を、恐るべき武勇伝を耳にすることぐらいはあるはずだ。
あるはずなのだが――――


(こんな昼間からバーテン服なんて、随分と仕事熱心だな)


はほんの少し常識の外に生きる男であった。