あかや あかしや あやかしの


冬の大祭が始まった。
人の邪魔をするように道の真ん中に木桶を吊り下げるのを毎日の日課とする犬面も、
今日この日は彼の座る大木の下で列をなすヒトビトを大人しく見守っていた。
自分のものとそう変わらぬ妙な面を被っているのに親近感を覚えつつ、
犬面は懐かしい歌に耳を傾ける。

『おまえは歌が下手だな』
『これからうまくなるんだよ』
『いいや、絶対変わらないぜ、一生へたくそだ』

この歌はかなしい思い出の歌だ。
いっぱい練習して、もう、へたくそではないのに。
それを一番傍で聞かなければいけない奴がいなくなってしまった、かなしい歌だ。


あかねのねいろの そのむこう


通り過ぎる行列を木の上からぼんやりと見送っていると、
その余韻を打ち消すように駆け抜ける少年が横切った。
懐かしい顔に、犬面ははっと息を止める。何度見ても、彼の顔は奴によく似ていた。

「おい、由。そんなところで何してるんだ」
「あ、犬面」

名を呼ばれた少年がこちらを仰ぎ見て手を振った。
犬面は下を見渡すが、少年に誰かが陰から付き添っている様子はない。
枝を飛び降り、犬面は地に降りた。

「一人? おまえは体が弱いのに、危ないだろ」
「俺様がいるっつーの! 無視してんじゃねえよ」
「ああ、黒狐か。毛皮だと思ってた」
「きいいい、相変わらずイヤな野郎だぜ!!」

黒狐がくってかかるように口を開けると、微かにソースの匂いが漂った。
犬面が鼻先をずらすと、由からも人間の食べ物の匂いがする。

「祭りに行ってきたのか」
「い、いや、そんなことは、ねえぞ!」
「えへへー、秘密にしてね」

隠す気もない由に呆れる。
己が神社の連中にとって、この町にとってどれほど重要な存在なのか、
誰かもう少し教えてやったほうがいいのではないだろうか。

「犬面はお祭り、行かないの?」
「興味ないよ。それにあの祭りは、狐を奉るものだろ」

誰が行ってやるかと面の下で舌を出すと、黒狐が牙を向いた。

「ああ、こっちだってお前になんかあいたくないね!
 てめえは木の上でずーっとぐーたらしてりゃいいんだ」
「黒狐、言い過ぎだよ。何でそんなに仲が悪いかなあ」

由の呟きを聞いて、犬面は自分の面をそっと撫でた。
仲良くなんてできないし、したくもない。犬は良いものだ。
化け物話において人を誑かし込んだ狐を追い払い、食い殺すのは犬なのだと相場は決まっているのだから。

「それより、早く帰った方がいいんじゃないか? 黙って町に降りたんだろう」
「おおっと、やべえ。いくぞ由!」
「引っ張らないでよ。もー。またね、犬面」

由たちを見送ると、犬面は桶を吊していた紐を辿って再び木の上に戻った。
今日は釣りもできずやることがない。
ごろりと幹に寄りかかって目を閉じる。
祭りに行った彼らに接触したせいで、自分にも人間の匂いがまとわり移っていた。
それが、余計に、懐かしい。

(何度見ても。本当によく似ているなあ)

由を見ていると心が波立つ。
何十年も、何百年も、いつまで待っても帰ってこないあの人と、
生き写しのように同一の容姿。


こいしやかのこえ かのなまえ


風に混じって、遙か遠くの行列の歌が耳に届く。
犬面は目を閉じたまま、途切れ途切れの歌に思いを馳せた。



「待っているんだぞ、朱史」





BACK  NEXT