放課後に延長消失事件を調べる約束をしていた椿と遠近は、
いつまで経っても現れぬ由にため息をついた。

「来ないな」

遠近が苛立たしげに舌打ちする。
荒い鼻息も真っ白に染まるほど空気が冷たい。
椿も、今日は来ないかもしれないな、なんて思いながらブランコに座る。

「……なあ、あんたは寒くないの」

自分たちがやって来た時からいた先客に椿は声をかけた。
ブランコに近い木のベンチ。その上に横たわる何かがもぞりと動いた。

「寒いわけがないだろう。化け物だぞ」
「おいそこのメガネマスク。あやかしにだって神経はあるわい」
「………なら厚着しろよ、コートとか」

ずっと木の上にいるもんだと思っていたのに、
寒空の公園で寝泊まりせねばならないとは、案外あやかし世界もシビアなものらしい。

「家へ帰ればいいだろう」
「帰れないからここにいるんだよ」
「え、お前ずっとここにいるつもり?」

面で見えないが、犬面が恨めしそうな顔でこちらを睨んだのはわかった。
選別だ、と遠近はそっと犬面の顔にティッシュを一枚乗せる。
犬面ががばりと起き上がり奇声をあげながら遠近を追いかけ始めた。
なんだか、いつもの光景に似ている気がする。

椿が声をたてて笑う。
お化けにはあまり良い思い出がないけれど。
お面を被って人間のように振る舞う犬面には親しみがわいた。

(ヨシキみたいだ)

あいつに比べれば全然頼りないし、余裕もないけれど。
こいつも自分を守ると、力になりたいと言ってくれた。
だからだろう。気を許していた。緩み過ぎていたぐらいだ。


『ア………………ウッ………』


耳元でぞわりとする気持ちの悪い声を聞き取り、椿はブランコから飛び降りた。
距離を取って振り返る。
黒い靄の密集したお化けが、こちらをじっと見つめていた。
いつの間に、こんな近くにいたのだろう。

『…………クウ………………イイニオイ、クウ』
「ああ、やっぱり、そういう感じ」

椿はじりじりと後ずさりする。
こいつらに真正面から逃げるのは、無理だ。
懐かしいな。最近、あんまりこういう場面に遭遇すること、なかったから。




「バカッ!! こういう時は声出して周囲に助け求めろって教わらなかったのか!」


化け物を横からけたぐって、犬面が乱入した。
薄気味悪い悲鳴とともに、黒い靄がより濃く広がる。
犬面は構わずに化け物を押さえつけ、左手で仮面をずらした。

椿には、彼の後姿しか見えない。
けれど、何かを啜るような、飲み下すような音がはっきりと耳に届いている。

食べているのだ、化け物を。

徐々に小さくなっていく化け物を、呆然と眺める。
犬猫ほどにまで縮んだソレから顔を話すと、犬面は拳を振り上げた。
ぐしゃりと、強く潰された物体は、しばらく奇妙な動きでのた打ち回り消えていった。


「………犬面、その、大丈夫か?」
「おい、何があった化け物?!」

遠近も遅れてブランコに戻ってきた。
椿がおそるおそる声をかけても、目の前のあやかしはぴくりとも反応しない。
無理をしたのだろうか。何か、攻撃を受けてしまったのかもしれない。
心配になって、肩を揺する。

犬面は自分の面を再び顔に装着した。それから、ゆっくり振り向き何度か首を振った。


「まずくて死にたい」
「……………おい」
「お前らにはわからねえだろうが、マジ、不味いんだからな」

よろよろと立ちあがって、再びベンチに横たわる。
なら食べなければいいだろうと言いたかったが、助けてもらった手前椿は口を噤んだ。

具合の悪そうな犬面を気遣って、自然二人の会話はなくなる。
遠近も時折ぐすぐすと鼻を啜るだけだ。
日ももうすぐ落ちるだろう。今日は早めに帰ったほうがいいかもしれない。


「ゆえーええぇぇぇええぇぇぇえ!!!」


と思った矢先に、年下の少年が公園に駆け込んできた。
不思議な格好だが、系統的には犬面と同じ分類だ。
椿と遠近は、少年と犬面を見比べて、首をかしげた。

「由は来てないか? 来てないのか! あああ、どこ行きやがったあのバカぁああ!!」
「……………うるせえよ黒狐。なんなんだよ、お前は毎日何かに叫ばないと死んじまう病気か、ああ?」
「犬面、いたのか! 由は見てないか?」

起き上がって嫌味をたれる犬面にも、黒狐は挑発されなかった。
よほど事態は切羽詰まっているらしい。
胃のむかつきに堪え、犬面は渋々ベンチから起き上がった。

「見てない。二人は?」
「ずっとここで待ってたけど、来てない」
「くそっ、あいつ今まで外なんて出歩いたことねえから、神社とここしかわかる場所ねえだろうに……」

がりがりと爪を噛みながら黒狐は焦る。
事態をいまだ把握しきれぬ椿と遠近は、犬面に尋ねた。

「あれが黒狐の正体なのか?」
「そうだ。あやかしは大抵獣に変化できるもんなんだよ」
「じゃあ犬面は、犬の姿にもなれるのか」
「……………………」

犬になれるならうちに置いてやるよと続けようとしたのだが、
椿の問いに犬面は目を逸らして答えなかった。
あまり触れられたくない話題だ。

「なあ、頼むよ。あいつ迷子になってるんだ、早く見つけねえと……今は物騒な奴も町にいるし」

黒狐の懇願に、三人は仕方ないと息をついた。
待ちぼうけをくらわせた上に、迷子とは。
ある意味由らしい、のかもしれない。迷惑に変わりはないが。

「迷子の行く先ってのは、案外絞られるぜ」
「流石だ親友。そしてその場所は?」
「帰りたいとこ。そうだなあ、あいつだったら」

犬面は、一瞬、彼らの会話を遠くで聞いているような感覚に陥った。
思考だけが、ぼんやりとはるか昔の過去に吸い込まれる。

(あいつだったら、)

どこへ帰るのだろうと。
何の確証もなく、自分の待つ場所に戻ってくる気がしたいたけれど、違うのかもしれない。
だって、朱史の知る空環はもうない。何もかも変わってしまった。
自分だって、変わってしまったのだ。

だったら待つのではなく探したほうがよかったんじゃないか?
木の下から降りた犬面は、考えたこともなかった可能性にぶち当たり、静かに首をかしげた。


「行こうぜ、犬面」
「ん。ああ」


どうして自分はこれほど待つことに固執していたのだろうか。







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