忍術学園から一つ山を越えた摂津の端くれに、瓜子城という小さな城があった。
金山を有し足利将軍家に所縁のある土地であったのだが、
大きな戦乱を経て、金鉱も枯れた頃には過去の栄華は衰えた。
今では手入れの届かぬ豪奢であった城と
貧しい村々がひっそりと寄り集まった静かで侘びしい土地であった。

栄華の名残でもある美しい白漆喰の塀の内側で、じっと白壁を見上げる少年がいた。
少年の名前は柿崎。瓜子城の忍者隊で養われている忍者の卵だ。

(はやく、帰ってこないかな)

城門の内側に立つ門番が立ち止まったままでいるのをじろりと睨みつけていたが、
は汗ばむ額を袖口で拭うふりをして視線をやり過ごした。

彼の待ち人は、道孝という二つ上の兄。
忍者の学校に入って数か月、今日はやっと帰って来る予定だ。
城の外に出た事も、兄と長く離れた事もなかったは、
昨日からそわそわと城門へ行ったり来たりを繰り返している。

「おい、。遠藤からランニングを命じられていなかったか?」

がぎくりと肩を強張らせて振り向くと、太陽を遮るように大きな男が仁王のように立ちはだかっていた。
隠そうともしない敵意を肌で感じながら、は俯いたまま言い訳をした。

「休憩です」
「ふん。これだからガキは……サボるんじゃねぇぞ!」
「はい」

瓜子忍者隊に、子どもはと兄の道孝しかいない。
昔はもっといたのだが、瓜子の衰退と共に気付けば兄弟二人しか残っていなかった。
何が気にいらないのか、瓜子忍者の、たちへの風当たりは強い。

男は忌々しげにの頭を小突いて、去って行った。
頭蓋に響く鈍痛に、は頭を押さえて蹲る。
まだ十の子どもに対して無体な仕打ち。けれど手加減されているだけまだ今日は機嫌の良い方だ。
思いきり右頬を張り飛ばされた時なんか奥歯が一本折れてしまった。

痛みをなんとかやり過ごしたは、もう一度白壁の向こうに意識を向けた。
こうして誰かに理不尽に殴られた時、修行が厳しくて泣きそうになった時、
兄はいつも自分の側に寄りそって頭を撫でてくれた。

(はやく、帰ってこないかなあ)


「おう遠藤。帰ってきたか。学園までは遠かっただろう」
「ああ。門番お疲れさん。少々、良くないことがあってな、遅くなった」


塀の向こうの会話を聞いたは眼を見開いて壁にかじりついた。
遠藤とは兄を迎えに行った保護者の名前だ。
二人が帰って来たと確信した瞬間、頭の痛みはどこかへ行ってしまった。

はすぐさま壁から離れて助走をつけ、壁を蹴りあげて猫のように高塀をよじ登った。
その素早く軽やかな身のこなしは大人の忍者でさえ簡単に身に付くものではない。
偶然それを見ていた門番は感嘆の声を上げたが、は気付かなかった。

「忠之進!」

優しい兄と保護者の到着を心待ちにしていたのだ。
塀の上で体勢を整えたはすぐ遠藤忠之進を見つけることができた。
大きな布包みを重そうに肩で担いで歩く青年の疲れた顔は、の呼びかけに全く気付いていないようだった。
もう一度、が忠之進の名を呼ぶと、彼はようやく顔をあげた。

「忠之進、おかえりなさい。兄上は!?」
、」

忠之進は一度言葉を区切り、厳しい表情でため息を吐いた。
それは、いつも柔和な頬笑みを絶やさぬ彼の常を知っていれば、ありえない態度。
夏葉も気づいていないわけではない。だが、それでも、気付かぬ振りで朗報を待つ。
朗報であると、信じるしかないのだ。
だが、忠之進は苦々しげに言葉を紡ぐ。

「道孝は、死んだ」






横たえられた子どもの死体を、瓜子の忍者隊が勢ぞろいで囲む。
その中央、死体の傍に屈みこんだは、瞬きもせぬほどじいっとそれを眺めていた。
死体を見るのは、これが初めてではない。
どこかの城から忍び込んだ忍者の遺骸を、一度だけ間近で見たことがあった。

「学園に仕向けた間諜が殺された」

恐ろしい死に顔だった覚えがあるが、あまり印象には残っていない。
気づいた兄の道孝が、すぐさまの視界を手で隠したからだ。
今、の視界を覆ってくれる手は無い。この場に居る誰もが、彼に興味が無い。

「道孝はどこまで情報を漏らした?」

土と血で汚れた姿で地べたに横たえられている兄は、
何度も何度も殴られて顔全体が膨れ上がり、すんと容の良い鼻は歪にひしゃげていた。
ああ酷い。瓜子の忍者でさえ、ここまで酷く殴ることはないというのに。

「このまま無策に進める気か」

冷たくなったその手を握りしめると、は気づいた。
手指の爪が、一枚も無い。
ふと足の先を眺めるがそちらの爪はきちんとあった。指はいくつか、斬り落とされていたけれど。

「……ならば、どこまで計画を変更するつもりだ」

背後で交わされる忍者隊の激しい議論が、雑音として耳をすり抜けていく。

「今更それは無理だろう。ならばいっそ」

図ったような一同の沈黙。
その異様な雰囲気に気付いたはそろりと忍者隊の連中に視線を上げた。
彼らはもう、議論をやめて自分をただ見下ろしていた。
その目は無機物を見つめる視線そのもののように感じて、は縋るように兄の手を強く握る。
勿論、冷たく固い手が、握り返してくれることは無い。



忍者隊の一人が輪から抜け出し、の頭に手を置いた。
労しそうに髪を撫でる手つきは優しく、の兄の死を悼んでいるようにも見えた。
それが見せかけであることを知っている。この撫でる手が、気紛れに強く殴って来たことがあるのを、覚えている。
けれど忍者の言葉はの心にするりと入り込んだ。

「忍術学園が憎くないか?」
「忍術学園?」

「ああ。道孝を殺したのは、そこの忍者だ」





BACK  NEXT