薄靄のかかる明け方頃。
修行以外は決して外には出られなかった
初めて遠出をした先は、瓜子から少々離れた地蔵堂であった。

「ここは」
「ここで、供養する」

の疑問をあえて聞こえなかったふりをして、忠之進は担いでいた木箱を下ろした。
下ろした際に僅かな異臭が鼻についた。中には兄が入っている。
箱の中がどうなっているのか、もはやに確認する勇気は無かった。

二人は持っていたクナイで地蔵堂の裏に穴を掘った。
柔らかな土と手際のよい忠之進のおかげで、人ひとり分の空間は苦もなく作ることができた。
箱を穴に収め、再び土をかけ戻す。小さな塚を作り、は道中摘んだ名も知らぬ花を数本供えた。

改めてぐるりと周囲を見渡すと、堂の裏には同じような塚がいくつもあった。
伸び始めの雑草を丁寧に抜きながら、忠之進は静かに呟いた。

「ここのことは誰にも言ってはならないよ」

瓜子の忍者隊は、死んでいった仲間を悼んだりはしない。
死者の思いが迷いに変わり、任務に支障をきたすからだ。
仲間が死んだ時は身の証を全て剥ぎ取り、鳥獣に食わせるがままにするのが決まりだ。

だから、この塚は全て忠之進が勝手に作ったものなのだろう。
バレたら、実力者である忠之進もただでは済むまい。
……決まりを破るとわかっていても、
死んでいく仲間たちをここで見送ると決めた忠之進に、今更かける言葉などなかった。

がしっかりと頷くのを見て、彼は微笑交じりに立ち上がった。

「さあ、忍術学園に行こう……ここからなら、意外に近いんだ」





それから一刻ほど道なりに峠を下っていくと、はあっと声を上げた。
崖になった道の真下に、忍術学園の建物が大きく広がっていた。

「大きいだろう」
「うん、瓜子より大きい!」
「………瓜子の方が大きいからな。そういうことも、他に言ったらダメだからな」

は三の丸しか見たことがないけれども、これは、ちょっと思慮が浅いのではないのだろうか。
忠之進はぐりぐりと子どもの頭を撫でた。カラカラと音がしないので、一応脳みそは詰まっているようだ。

二人は崖を降りず、道なりに下ることを選んだ。
この崖を近道にすれば早く着くけれども、今回は夏葉を農家の子どもとして学園に送り込む。
学園の関係者に、手慣れた様子で崖を降りる様を見られてはまずかった。



「ここからは、一人で行きなさい」

森を抜ける手前の細い道で、遠藤忠之進は立ち止った。

「俺は、道隆の時に何度か学園に顔を出したから……近づけないんだ」
「わかった」

はいきなり切り出された別れに、特に何も思わなかった。
元々、学園に入れば独り。
半ば強制だったとはいえ、兄の死んだ場所に単身潜入する覚悟はとうに決めていた。

だから、学園に真っすぐ歩いていくの肩を忠之進が引きとめたのは、
予想外の出来事だった。

「何かあったら、すぐに戻ってきなさい。任務より、お前の命の方が大事なんだから」

振り返ったは驚きの表情で忠之進を見上げた。
何かあっても「こいつらなら構わない」と瓜子から送り出された自分たちだ。
の目じりにじんわりと涙が浮かんだ。

「俺が逃げたら、世話役の忠之進も怒られるでしょう」
「心配するな……これでも、夏葉が思うより俺は偉いんだ」

忠之進の大きな手がの髪の毛をぐしゃぐしゃに掻き混ぜた。
年は九つ離れている。彼らは厳しい忍者隊の中で最も年が近く、
上司と部下というよりは親子兄弟のような関係であった。

「忠之進も、元気で……兄さんのこと、頼む」

自分に何かあったら、兄の墓を知るのは忠之進だけになるのだ。
今のうちに頼んでおいてもおかしいことではない。
忠之進も、苦笑いしながら頷いた。

「道孝も城を出るとき「弟を頼む」って言っていたんだ。お前たち兄弟は、本当に似ているな」

兄が学園に入学する時、同じように忠之進が見送りに行った。
その時のことを思い出しているのか、忠之進は感情を堪えるように顔をゆがませ、を抱きしめた。
こうしてを抱きしめてくれるのは、いつも兄の道孝か、忠之進の二人だけだった。
それが、今はたった一人になってしまった。









は再び忍術学園に続く道を一人で歩き始めた。

(そういえば、聞きそびれたな)

兄が忍術学園で間諜をしていた理由。
城を出て丸一日、忠之進と共に過ごしたが、
彼はついぞその理由を明かしてはくれなかった。
しかしある程度の予想は付いた。
は瓜子城の忍者隊が、「それ」以外の理由で動くところを見たことがないのだから。

「戦なんて、やらなければいいのに」

瓜子城は潤沢でない領地の資源を、戦で補っている。
勝つために相当悪どい所業をしていることも、は兄の口を通じて聞いたことがあった。
瓜子城は決して良い城ではない。忍者隊だって、嫌な奴ばっかりだ。


……それでも。


忍術学園が許せなかった。
いくら敵の勢力であっても、兄はまだ十二の子どもだった。
たった一人の、優しい兄だった。

臓腑が焼き切れるような痛みを抱えて、は歩き続ける。
忍者隊の連中は道孝の死を結果として受け止めたが、
はその過程を知りたかった。誰が殺したのかを、突き止めたかった。
突きとめて、それから、


「あ」


気付けば、あっという間に忍術学園の白塀が見えていた。
早足で駆け寄ると、大きな木造りの門にたどり着く。
横には達筆な文字で「忍術学園」と看板が掲げられている。
ここに間違いないのだと、は唾を飲んだ。



「………た、たのもう」


挨拶はこれでいいのかと、は急に不安になった。
城から出た事のない夏葉は、当然どこぞ外にお邪魔したこともない。
何をどうすればいいかもわからずうろうろと入口を出たり入ったりしてみたが、
誰かがやって来る様子は無い。


「誰かいらっしゃいませんか?」


声を張っても、誰もやってくる様子はない。
木戸を押すと、鍵の掛かっていなかった扉はあっけなく開いた。
瓜子城ではありえないことだ。いや、城と学校では比較対象が違いすぎるが。
はそろりと中に入り込み、考える。
このまま奥まで行ってもいいのだろうか。



は荷を背負い直し、近くに見えた建物に寄ることを決めた。
編入手続きも紹介状も持っている。不法侵入でいきなり殺されることはあるまい。

生垣を曲がり人を探しながらゆっくり進んでいくと
井形模様の水色装束を着込んだ少年が石に座っているのを見つけた。

「なあ。そこの君、ちょっといいかな」
「はい?」

忍びの少年は写生をしていたが
を学園の客人だと思ったのか、わざわざ筆を置いて傍までやって来た。
背はより少し大きい。丸眼鏡で、何とも人の良さそうな顔だった。

「邪魔をしてごめん。俺、編入希望でここに来たんだけど、
 学園長先生がいらっしゃる場所を教えてくれない?」
「別にいいけど。小松田さんは案内してくれなかったの?」
「小松田さん?」
「え、あ…………もしかして、入門表にサイン、してない?」
「誰もいなかった」
「うわぁ」


眼鏡の少年が何とも形容しがたい表情で呻くと、
背後から連続した地響きが聞こえてきた。
それに伴って、低く間延びした声が耳に残る。


「…………ぉぉ…………さぃぃいい」


何だろう、音がどんどんと近づいてくる。
が振り返ると、くすんだ青の忍び装束の青年がこちらに全速力で向かっていた。
彼は必死に何かを叫んでいるので、もじっと動かずその言葉に耳を傾けた。


「………ひょうにぃぃい……………して……ぃいいいい」




「入門表に、サインしてくださぁああああいいいぃぃぃぃ!!」




彼の右手には書類らしきものが握りしめられている。
は彼が通常では門番の役目をしているのかと納得し、
入門表にサインするべくその場に留まった。

門番の青年もこちらにサインをする気があるのだとわかったようで、
徐々に走る速度を落としてきた。
しかし、あと少しというところで。彼は石に躓いた。

「うわぁああ」

両手をバタバタと振り回しながら、青年は手前にいた眼鏡の少年に体ごとぶち当たって行った。

「ぎゃあ」

そして眼鏡の少年は、当然、加速度を帯びた成人の重さを支え切ることもできず、
斜め後ろでぼうっと立っていたを巻き込んで倒れた。

「うぇっ!?」

見事なドミノ倒し。
一番下で二人に乗りかかられたは、
ガツンと後頭部に凄まじい衝撃を受けて意識を失った。












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