課題の町までは、道中裏山のチェックポイントを通っても
一刻もすれば着いてしまうような場所だ。
一年は組も何がしか入用があればこの町によく買い物に行っているし、
昼に学園を出ても夕暮れ前には戻ってこられる。

誰が言い出したわけでもないが、たちは口数少なく山道を早足で上っていた。
誰だって、日が落ちた真っ暗な山道を歩きたくは無い。
課題がどの程度の難易度かわからぬ以上、省ける時間は移動時間しかない。
しばらく歩き続けると、先頭を歩いていた伊助が「あ」と声を上げた。

「や、お疲れ様」
「庄左ヱ門!」

チェックポイントには、学級委員の庄左ヱ門と五年の先輩が立っていた。
名前は知らない。が、こちらに気づくと先輩はにこやかに笑顔を作った。
伊助たちは「こんにちは、尾浜先輩」と声をかけているが、
タイミングを逃したはどうしていいかわからず、小さな会釈で誤魔化した。
名簿を見ながら、庄左ヱ門は筆で線を引く。

「ここは伊助たちで最後だね。課題の暗号はこれだよ」

庄左ヱ門から伊助に紙が渡される。
皆が集まってしげしげとその中身を覗こうとする中、
はむずがゆい視線を感じてちらりとそちらを見た。

五年生の学級委員がにこにことこちらを見下ろしていた。
にこにこにこにこにこにこにこにこと、笑顔の重圧が凄まじい。

「あの、」
「俺は五年い組の尾浜勘右衛門だ。よろしくね」
「よろしく、お願いします。は組のです」

きちんと挨拶をしなかったのが気に障っていたのだろうか。
挨拶もそこそこに、さあ暗号を見てみよう、と尾浜に促される。
紙を見下ろしても尾浜の視線は変わらずこちらを向いている。

何か言いたいことがあるなら言ってほしいのだが、
尾浜はただじっと笑みをたたえて見守るだけだ。
気にするな、気にするなと自分に言い聞かせ、は暗号文に目を通した。


亀一つ水鳥浮かべ帰りしな
一文字引いて二つ亀持つ


何じゃこりゃ、というのがの感想であった。
他の三人も同様である。
一緒に眺めた庄左ヱ門だけが「……なるほど、ちょっと難しいね」と訳知り顔で頷いている。
四人はそろりと顔を見合わせる。それぞれが互いに目配せし合い、
首を横に振った後、確認するように頷いた。

「庄左ヱ門、助けてください」
「駄目だよ自分たちで考えないと……あ、ちょっと待って」

四人が期待した目で見守る中、庄左ヱ門は小銭の音を鳴らして財布を出した。

「お金が必要な物は、これで買ってください。
 後々使った分を記録して照合するので、失くしたり自分の物にしちゃだめだよ!」
「ヒントじゃないのーっ!?」
「あはは、庄左ヱ門は厳しいな」

すげなく断る庄左ヱ門の肩を叩いて、五年生の尾浜先輩はけらけらと笑っている。
四人は庄左ヱ門から尾浜に目を向けて子どもらしく縋り付いた。

「先輩、ヒントだけでもくださーい」
「いやいや、課題は自分たちの手でやらなきゃ意味がないからね」

人当たりのよい笑顔でばっさりと切り捨てられる。
規則に甘そうに見えてもそこは学級委員長委員会。
四人は深いため息をついたが、次の行き先は既にわかっているので、
そこに行くまでの道中で考えるしかあるまい。
支度を整えてチェックポイントを離れようとすると、尾浜はに「はい」と縄を渡した。

「何でしょうか、これは」
「ん。帰りには『カメ』を二つ持たなきゃいけないんだから、縄があった方が便利だろう」

両手で縄の束を受け取ると、尾浜はの頭をぐしゃぐしゃと撫でた。

「それから、食堂のおばちゃんが首を長くして待っているだろうから
 あまり寄り道はせずに早めに学園へ戻ること。じゃあ、気をつけていってらっしゃい」

首を傾げるを見送って、尾浜は満足げに笑った。
彼らの後姿がすっかり見えなくなった頃、
設営の片づけを始めていた庄左ヱ門は責めるような口調で言った。

「随分、ヒントを出しましたね」
「え、そうかな?」
「食堂のおばちゃんが必要とするようなもので、カメが必要なものなんて限られているじゃないですか」

しかも、課題の品が二つあることまで言っていた。
あれをヒントと言わずして何というか。
今までの下級生チームには、どんな難易度であろうとヒントなんて出しはしなかったのに。
理由はわかっている。だ。

「先輩たちって、本当にのことが大好きですよね」

五年生は総じて、に甘い。砂糖よりもずっとだだ甘い。
不破も、久々知も、本人にはすっかり嫌われているが鉢屋だってを隙あらば構おうとする。
最初は新しい生活に不慣れで、同級生に馴染めない不器用な転入生が物珍しいのかとも思ったが、
彼らの甘やかし方はそんな理由では片付けられないものだ。

「俺たちってそんなに態度に出てる?」
「不破先輩と鉢屋先輩は特に。久々知先輩もかなり甘やかしていると伊助が言っていました」

尾浜は「あいつらもわかりやすいなっ!」と大らかに笑っていた。
その様子をじっと眺めていた庄左ヱ門は思い切って、切り込んだ。

を構うのは、どうしてですか? 何か理由があるんですよね」
「ん、ああ、君。俺たちが一年生の頃にも転入生が入ってきたんだけど、
 そいつに凄く似ているから、見てるとつい世話焼きたくなるんだよ」

不破も鉢屋も濁した答えを、尾浜はあっさりと口にした。
庄左ヱ門は驚きを隠して尾浜をまじまじと見上げるが
隠していたり、嘘をついているようにも見えなかった。

「先輩が一年生の頃の、転入生ですか?」
「そう。元々はろ組の転入生だったんだけど、あの頃は下級生の数自体が少なくて、
 合同授業も多かったから他の組とも交流があったんだよ」

無口で、目つきが悪くて、周囲を常に警戒しているような子どもの後姿が、
尾浜の脳裏に焼きついている。

ろ組の中でも特に人当たりの良い竹谷や不破が彼を遊びに誘うところも、
すげなく断られるところもよく見ていた。
い組の学級委員をしていた尾浜も何かと声をかけていたが
彼がこちらに顔を向けることは殆ど無かった。
いつも背中ばかり向けられていたから、彼の後姿は今でも鮮明に思い出せる。

あの時、自分達はまだまだ幼い子どもだった。
無愛想に振舞い、場の空気をぶち壊すような陰険な口をきく転入生に酷く苛立ったもので、

「本当にそっくりだよ。とても」
「………それで?」

庄左ヱ門に続きを促され、遅まきながら尾浜にも迷いが生じた。
つい軽はずみに口にしてしまったが、どこまで言っていいものだろうか。
むしろ、言ってしまってよかったのだろうか?

「庄左ヱ門、聞かなかったことにしてこの話やめない?」
「尾浜先輩。ここまで言ってしまって、それは無しですよ」

逃がすまいと、庄左ヱ門は尾浜の袖を握り締めた。
決して好奇心だけで聞いているわけではない。
学級委員長として、友人として、を取り巻くものに感じるざわめきと違和感を
解消するために、庄左ヱ門は全てを知りたいのだ。
尾浜は「これは他言してはいけないよ」と前置きして話を続ける。

「その転入生が来てから、一年経った頃に事件が起きてね。
 彼が忽然と学園から姿を消したんだ」

校外授業の最中で、最初は怪我をしたのか迷子にでもなったのか、と誰もが軽く考えていた。
けれど一晩経っても見つからず、翌日は学園の教師が山狩りをしても一向に見つからない。
日にちが経つにつれて事の重大さに同級生は顔色が青くなっていく。

『そういえば、あいつはいつも物思いに耽っていた』
『誰もいないところで泣いていたこともある』
『校外実習の時に変な視線を感じていた』
『あいつと二人一組になると、見知らぬ男がじっと付いてくることもあった』

憎たらしい言動の多い彼がいなくなって、今までの行動を振り返ると、
たくさんの見逃してはならない兆候はあったのだ。
彼が何かよくないものに付き纏われているのは、
学級の皆が話し合っていればすぐに気づくほどあからさまに表れていたのに。

「俺たちの学年はずっと、その時のことを後悔しているんだ。
『……自分たちが、もっと、彼のことを気にかけてやっていれば、
 こんなことにはならなかったかもしれないのに』ってね」

五年生の事情に全く関係のないには悪いが、彼の纏う陰気な雰囲気はあの時の『彼』によく似ていた。
彼らの警戒心の強さも、無愛想な態度も、友人たちとわざと距離を取ろうとするするところも、
同い年だった自分たちは酷く腹を立てたものだが、四つも離れれば
それが彼らの戸惑いと臆病さからくるものだと見てわかる。

自分たちが一年の頃にはできなかったことを、にはしてやりたい。
世話を焼いて、笑いかけて、『ここに怖いものは無いのだ』と手を取ってやりたいのだ。

「……っと、まあ、そういう理由で、五年生は君のことが気にかかるんだよね」

余計なことまで下級生に口走ってしまいそうで、尾浜は慌てて口を閉ざした。
しかし庄左ヱ門は続きをねだる。
尾浜があえて触れなかった結末を。

「その転入生は見つかったんですか?」

尾浜は目を逸らす。
こんな話をすれば、庄左ヱ門が最後を知りたがるのは自明だった。
だから、こうなってしまった原因は、尾浜自身の思慮が足りなかったのだ。

を甘やかしてしまう理由からして、言うべきではなかった。
適当な嘘で包んで隠さなければならなかった。
今からでも間に合うだろうか? 尾浜は目を逸らした一瞬で
『転入生は迷子になっていたものの無事に保護され、そこから和解したが三年の頃に中退』
という物語を作り出し、再び庄左ヱ門に笑顔を向けて口に出そうとした。

「死んだよ」

ぴしゃりと厳しく言い放ったのは尾浜ではなかった。
庄左ヱ門と尾浜は肩越しに振り返る。
背後で、鉢屋が憮然とした面持ちで腕を組んでいた。

「そいつは忍術学園の秘伝秘術を盗むために潜り込んだ狗だったんだ。
 だが飼い主のいざこざに巻き込まれて、結局学園に戻ってくることはなかった」
「三郎」

尾浜が咎めるように鉢屋の名を呼んだが、
彼は逆に尾浜を睨みかえした。
庄左ヱ門は、鉢屋三郎がここまで不愉快を露にするところを初めて見た。

「勘右衛門、これは下級生に提供するような楽しい話じゃあないと思うが?」
「いや、あははは、ごめんごめん」
「あの違うんです鉢屋先輩。僕が尾浜先輩に無理やりお話を伺っていたんです」

庄左ヱ門が前に出て頭を下げると、鉢屋は言いかけた言葉をぐっと押し込め、
ゆっくりと息を吐き出した。
五年生の言う『転入生』の話は、鉢屋にとって鬼門に等しい。
アレの話題を口にするものは誰彼かまわず口を塞ぎたくなるし、
アレに瓜二つのを見ると、冷静ではいられなくなる。
自分の悪い癖だと短慮を戒め、鉢屋はおどけた笑顔を作って庄左ヱ門の頭を軽く叩いた。

「こっちこそ怒って悪かった。もうこの話はやめよう」

庄左ヱ門の顔が(え、まだ聞きたいことがあるのに)という表情に変わったが、
鉢屋はあえて無視をして、自分がわざわざ尾浜たちのチェックポイントにまで足を運んだ理由を明かした。

「私のチェックポイント近くの街道を、ドクタケ忍者隊が移動していた」
「ドクタケが!?」

あの戦好きのドクタケ城の忍者が、何の目的も無く街道に降りるはずがない。
鉢屋は頷いて、懐の地図を広げて見せた。

「奴らは商人の変装をしていた。話を盗み聞いたが、次の戦に向けた火薬の取引をするそうだ。
 取引場所は、ここ」

指を刺した場所は、既に×印がついていた。
裏裏山の街道沿いの町。
このオリエンテーションの第一チェックポイントを過ぎた者が必ず向かう場所だ。

「不味いんじゃないですか。先生にも知らせた方がいいですよね」
「学園長からは既に『多少のトラブルがあってもオリエンテーションを実行するように』とのお達しがある」
「まるでこうなることがわかっていたような物言いじゃないか」

鉢屋と尾浜は、目を細めて互いに顔を見合わせる。
ドクタケが火薬を取引する日と、忍たまたちのオリエンテーションの日程をぶつける位、
あの学園長なら簡単にやりかねない。
運営側としては忍たまたちには知らぬ存ぜぬで課題だけをこなして戻って来てもらいたいのだが、
今回のオリエンテーションは忍術学園の火薬庫『一年は組』が揃っている。
何も起こらないはずがない。

「とりあえず、は組の行動範囲は押さえておいて困ることはないだろう。
 こっちに来た一年は組チームの課題はしんべヱ達が草履、団蔵たちが炭だ」

そっちは何だったんだ、と鉢屋が目で尋ねると、
尾浜は悪戯っぽく笑って庄左ヱ門に顔を向けた。

「庄左ヱ門はあの暗号の答えがわかった?」

勿論だと頷く。
回答を促され、庄左ヱ門は気負い無く答えた。



「酒と味噌です」







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