物質界において最も総量の多い悪魔は、カビや菌に憑依する魍魎である。
彼らは単体においては全く害のない奴らで、それこそ石鹸や消毒液で滅されるスライム以下の雑魚中の雑魚悪魔。
俺の領土が魔神に襲われた時でさえ、「え、これ空気でしょう?」並みにスルーされて奇跡的に滅されなかった素晴らしいキングオブ雑魚だ。

……こちらに来た後で知ったことだが、そんな雑魚の空気扱いは物質界でもまるっと同じらしく、
悪魔と敵対する祓魔師も滅多なことでは魍魎を退治しないそうだ。
数があまりにも多すぎて滅する意味がないし、
何より、彼らは自分と同じ腐の眷属の悪魔に集る習性がある。
悪魔の早期発見に超便利なのだ。
まさに、今の俺の様に。

「たーかーるーなー!!!」

庭先で悪魔の尻尾に絶望していた俺を慰めるかの様に、魍魎どもは俺の全身にひっついていた。
二匹三匹ならまだしも、何百何千の魍魎に集られるのはたまったもんじゃない。
緑の庭が真っ黒に塗りつぶされる。
これ、やばくね?超やばくね?

<除けろ魍魎ども!!>

悪魔のコミュニケーション、テレパシーで命令を放つ。
流石に俺が迷惑しているのが伝わったようで、彼らは瞬時に俺から離れた。
すかさずガラス扉を引き開け、ぴしゃりと閉め切った。
俺についていこうとするが、魍魎はガラス扉にぺしぺしと体当たりを繰り返すだけで中には入れない。
ふっははははは、所詮最下級悪魔よのう!!チョロいわ!

悪魔のような歪んだ笑顔でけらけら笑っていると、
ピンポーンと軽快なインターホンの音が部屋に響いた。
両親は家にはいないようで二階から小学生ぐらいの女の子がおりてきておれのまえにかけよってきた。
俺の尻尾が見えないのか、少女はいつもと変わらぬ日常の気安さで話しかける。

「おにいちゃん、お客さんだよ」
「どうせ勧誘だよ、居留守居留守」

魍魎のうじゃうじゃから目を離さず、適当なことを言う。
妹はリビングのインターホンモニターをオンにして、大きな声を出した。

「違うよおにいちゃん!!十字架つけてるもん、祓魔師さんだ!!」
「なっ」

俺が止める間もなく、幼い妹はインターホンの電話をとった。

「はい、です」
「ああ、私、正十字騎士団南十字教会の藤本です。
 すみません、犬の散歩をしていたらこちらのお庭にはいってしまいましてね。
 ……捕まえたいので中に入らせてもらえませんか?」
「犬だって」

やばいやばいやばいやばい。
やばいなんてもんじゃない。物質界に来て十分も経たず強制送還なんてされててまるか!!

思い切り首を振って拒絶できるのならしたが、ここで断っては逆に怪しまれるに違いない。
何とか、穏便かつ怪しまれることなく切り抜けなければ。

俺は妹に「リビングに座ってろ」と言いつけて一人玄関までやってきた。
尻尾は無理やり服の下にしまいこんだ。
もともと安全意識の高い家のようで、鍵だけでなくチェーンまでかかっている。
鍵のツマミだけをそっと開けて、隙間をつくった。

「いやあ、ごめんねー。怪しいものじゃないんだよ」
「……………………怪しい」

いや、どんな人間であれ追い返すためにそういうつもりだったけどね。
見てびっくり、本当にこの人怪しい人だった。
なにせ黒づくめ。なにせ十字架。なにせ丸メガネ。
もともとの鋭い顔立ちを柔和な笑みで誤魔化しているが、大分怖いぞこの男。

「いま、おうちに誰もいないから、知らない人をあげちゃダメだっておかあさんに言われてるんです」
「あー、そうだよね、うんうん。お母さんの言いつけを守って、いい子だね」
「だから、いれない」

子どもがきっぱりと断っているというのに、藤本は諦めない。
それどころかより馴れ馴れしく、ドアの隙間から手を差し伸べて俺の頭を撫でた。

「うーん。庭をちょーっと確かめたいだけだから、外から入るってのはどうかな?
 ベランダに鍵をかけていればおじさんも入れない」
「やだ、うさんくさい」
「うおっ、おじさん傷ついたー」

もうやだ。早く帰ってくれよ祓魔師この野郎。
全く引き返す様子のない神父に、俺の背中につっと冷や汗が流れた。

いやな緊迫感。
いっそ、気難しい子供のふりをしてドアを閉めてしまおうか。
ドアノブを握る手に力を込めた、その瞬間だった。

君、ごめんね、いきなり訪ねて」
「……おまえは」

黒子が印象的なメガネ少年がドアの陰からひそりと顔をのぞかせた。
俺の体と同い年ぐらいだが。
ええと、誰?この子誰?うああああ、わからねえ、知り合い?友達?クラスメイト?

「あ、ごめん。わかんないよね、僕目立たないし……6年1組の奥村雪男です」
「いや、別に、謝んなよ」
「おおお!もしかして君たち、同じ学校の子だったりする?」

雪男が頷いた。
わが意を得たりと、藤本と名乗った神父は雪男の肩をがしりと抱いてとびっきりの笑顔を見せた。

「いやあ、これは縁だね。親友になる縁だね。君、雪男はちょっと引っ込み思案の気があるけど、
 実はそうでもないんだ。嫌なことがあると風呂場で鏡に向かって延々毒吐く気の強いとこがあるから、
 どうか仲良くしてやってくれ」
「息子と仲良くしてほしいなら言ってやるなよ、そんな暗黒面!!」

つか、こんな大人しくていい奴そうなのに裏表のギャップが烈しいな! 怖っ!
雪男はそんなことは置いといて、と無理やり話を戻した。
凄いな、こいつのスルースキル。

君。本当にちょっとでいいんだ、庭に入らせてくれないかな」
「………それとも、入れられない理由でも、あるのかなあ?」

雪男の言葉を補足するように、藤本がちゃらちゃらチクチクと俺を責める。

「いいよ。勝手に入れば。犬見つかるといいね」

大量の魍魎たちには悪いが、ここは一度綺麗に祓われていただこう。
あの庭は何だかんだでじめじめしていたし、大量発生していてもそこまでは不思議じゃない場所だ。
話が落ち着いたのを察したのか、妹がリビングから顔を出す。

「お庭くる?」
「おお、案内してあげな」
「祓魔師さんはじめてみた!こっち、こっち!」
「お邪魔します」

妹はそりゃあ誰から見てもはしゃいでいた。
テレビの影響かは知らんが、祓魔師に向ける視線は俳優かアイドルを見るようなソレだ。
俺は台所からのむヨーグルトを持ってきて、リビングのテレビをつけた。
丁度水戸黄門の、印籠が出てくるシーンだったので一人鑑賞する。
しばらくすると妹が、うちの犬は人なれしていないからとよくわからん理由をつけられて戻ってきた。
二人で水戸黄門を観賞。うっかりはちべえは役に立たなかった。

「祓魔師さんたち、わんちゃん見つかるかな」
「さあなー」

CMの合間にベランダへ視線をやると、藤本が腰に下げていた聖水のボトルをあたり一面に振りまいていた。
さようなら魍魎たち。
もう二度とまとわりつくなよ。




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