俺が物質界に住み着いて四年が経った。
早いものである。その間、虚無界から追ってが来るわけでもなく、
魔神様の妨害もなく、平和に人間生活を送ってこれた。

もしかして……俺のこと、みんな忘れてたりする?
一応、俺、八候王の一人だったりするんだけど、そんなに存在感なかったかな?
寂しくなんてないぞ。二度と虚無界で暮らす気なんてないし。別に、寂しくなんて、ないんだからな。



中学の間に個室をもらった俺は、一人机に座って今年に届いた年賀状を眺めていた。
ちなみに今年は二枚貰った。学校の先生と、雪男くんだ。
……ああ、笑いたければ笑えよ。友達なんていねえよ!
これでもなあ、人間生活楽しくて忘れかけていた青春をもう一度、なんて心づもりもあったんだが、

顔が生理的に駄目らしい。

きつい吊り目や、鋭い八重歯とか、どうにも悪魔を連想させる狂相なのだ俺の顔。
鏡の前で爽やかな笑顔の練習もしてみたが、駄目だ。
これは絶対何か企んでいる悪者の表情になる。
実際、俺は小中と誰も殴ったり苛めたりなんてしたことはないのだが、
学校の連中はどうしてだか「キレるとヤバい」みたいな噂を遠巻きに流しているし。

君よ、君はどうしてこんなに顔つきが悪いんだ?
お母さんもお父さんも穏やかで人の良さそうな人相なのにねー。


まあ、そんな俺にも友達っぽい人間は一人いる。それが雪男だ。
どういうわけか縁を持ってだらだらと友人っぽい関係を続けた彼とは、小学校の卒業以来あっていない。
それでも縁が途切れるわけでもなく、
何となくだらだらと年賀状だけのやり取りを続けてはや四年目。

俺は今年の雪男の年賀状に視線を落とす。
小学校のころから変わることのない丁寧な筆跡で正十字学園に合格したと一言添えられていた。
奇遇なことに、実は俺も推薦もらって正十字学園に通うことになっているのだが、
雪男くんは何も知らない。入学式でドッキリさせてやる予定だからだ。
別に藤本が恐くて会いに行けないわけじゃないぞ。全くあんな奴は恐くないぞ。

「早く入学式になんねーかなー」

雪男の年賀状を引き出しにしまい、手を組んで腕を伸ばした。
小さな黒い物体がひらりと視界を横切る。

『ひまなの、ひまなの?』

魍魎が構ってほしそうに机からわらわら沸き始めたので慌てて散らせた。
油断するとこいつらはすぐ俺に引っ付こうとするのでまったく落ち着かない。
しかも放置するとスライムのごとく融合合体してどでかい魍魎になるから性質が悪すぎる。
俺は忙しいんだよとアピールするべく部屋を出た。飲むヨーグルトが飲みたくなった。

「麻衣、本当のことを言って?学校でいじめられているんじゃないの?」

電気も付けず真っ暗な階段を降りると、リビングには母さんと妹がいるようだった。
何やら深刻そうな話をしていて、俺は入るのを躊躇った。かわりに、耳を近付ける。

「違うの、ママ。あのね、意地悪されてるけどね、それは人間じゃないの!」
「麻衣……」

母さんが困ったように妹の名前を呼んだ。
可愛い妹がいじめられていると聞いては黙っていられない。
俺はさりげなさを装ってリビングのドアを開けた。二人がこちらを見る。

「麻衣、意地悪されてんのか?」
「お兄ちゃんは信じてくれる!?」

机には、ボロボロになった麻衣のノートがあった。
まあ、これで意地悪されてないってのを疑う人間はいないだろう。

俺は目を細めてノートを凝視する。
問題は、カッターとは違う爪痕のような引っ掻き傷。
紙の端っこは何度も甘噛みしたように歯形が残っている。
噛み跡にはごく僅かに悪魔の障気が残っていた。

「人間じゃないんだっけ?」
「うん! 小さくて、丸くて、黒っぽい何か……でも、私以外には見えないの」

お前らじゃないだろうな魍魎。
じろりと空気中に漂う彼らを睨みつけるが、奴らは我関せずと浮いているだけ。
そもそも麻衣には魍魎が見えていない。犯人は、また別にいるのだろう。

「母さん、麻衣を信じてちょっと教会でお祓いしてもらおう」
「でも、……人間じゃないものって、」
「祓魔師はそういう超常現象の相談も受けてくれるんだよ。ほら、雪男くんのとこ」

宗教も国籍も全て吹っ飛ばして支部を増やす正十字騎士団は、生活密着型の奉仕活動を行っている。
お悩み相談、手作り土産物販売、有機野菜の農地開拓etc。
これらの活動によって貯えられたコネや金や土地が、全て悪魔を倒すために費やされるのだから怖いものがある。

「雪男君は高校で一緒になるからさ。挨拶ついでに聞いてみるよ」
「そ、そう?」

まだ戸惑い気味の母に、顔を近づけて『カウンセリングもやってるんだ』と耳打ちする。
悪魔だの何だのを信じてもらうより、そちらの方がずっと現実的で、楽な説得だ。
母さんはほんの少し安心した顔を見せて、頷いた。

「じゃあ、電話してみるわ。麻衣も冬休みだし、平日でも大丈夫だろう?」
「ええ、お願いね
「任せとけ」

俺はひらひらと手を振って、飲むヨーグルトを手に再び二階の自室への階段を上る。
相変わらずの暗闇の中で、俺は思いきり顔を顰めた。
話の直前に、雪男のことを考えていたのが悪かったのかもしれん。
あと、目に見える形ですぐに母と妹を安心させたかったのもある。だが、それでも、

悪魔が! 魔神に名を与えられた誇り高き八侯王の一人が!
困ったことがあるから祓魔師に相談しようなんてジョークにもならん!!

(バレたら、何回殺されても済まんだろうなあ)

大分昔、魔神の気紛れでぐさぐさ串刺しにされた腹をさすりながら自室に戻ると、
俺の小さな恐怖に反応した魍魎どもが一斉に纏わりついてきた。油断した。




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