警察に保護されてから数週間と少し。
体力がすっかり回復するのを見計らって、千明さんは俺を病院から連れ出した。
住んでいたアパートにある俺の私物を取りに行くためだ。

「退屈だったでしょう」

アルトラバンの助手席に座らされた俺は素直に頷いた。
なにせマスコミが凄かった。よほど飯のネタに飢えていたのだろう。
部屋のカーテンを開けると地上ではカメラマンが待機し、自分らしき影が映った映像が夕方のニュースで延々と流れる毎日。
勿論、病室から出ることは禁じられた。

それに輪をかけて鬱陶しいのがカウンセラーだのセラピストだのの人種。
俺が漫画を読んでいると「どうして文字が読めるのか」、
ちょっと退屈で部屋を抜け出すとひたすらにその理由を掘り下げようとする。
わからない、とでも言おうものなら俺が言葉で動機を具現化できるまで付き添うのだ。

「退屈でした」

退屈どころの話じゃないが、千明さんにそれを言ってもしょうがないので、
俺は久々の外出ドライブを素直に楽しむことにした。
それに、病院生活は悪いことだけじゃなかった。漫画読み放題。最高だ。



くんね、来週からは別の施設に移ることになったの。病院よりは居心地はいいわよ」

外を走りながら千明さんは静かに言った。引き取り手が誰もいないことは察しがついていた。
病院の見舞いが警察と役所の人間だけであったし、何よりワイドショーで報じられていたのだ。
本人よりもマスコミの方が家族事情に通じているというのも妙な話だ。

「そうですね」と興味なさそうに返事をすると、千明さんが何か言いたそうな顔をしていた。
これで俺が可愛らしい少年らしい少年ならショックの一つや二つ受けて、
更に入所した施設で虐めにあいつつ「同情するなら金をくれ」とか言い出すのだろうが、
残念なことに俺の中身は三十近くのおっさんだ。

いくら彼が可愛そうな身の上だからといって、我が身のことのようにわんわん泣くことなぞできるはずもない。
しかし隣から惜しみなく降り注ぐ痛ましそうな視線を受け止めきることもできず、
俺はうとうとと眠る振りをして目を閉じた。


それにしても、『俺』はこれからどうなるのだろうか。
本物の少年は、四六時中俺の脳内に助けを求めていた。
そして、俺は助けた。母親がいなくなった隙を突いて警察に通報し、保護を受けるにまで至った。
ここまでやれば十分『助けた』分類に入るんじゃないだろうか。


なのに、俺は相変わらずこの子どもの体に入っているわけで。



「…………どういうことだ?」
「え、どうかした?」


うっかり声を出してしまった。誤魔化すように黙って首を振る。
どうやったら現実に帰れるかわからないんです、なんて言ったら最後、
彼女は目的地を変えて再びカウンセラーのところに連れていくにきまっている。

「お家まで、あとちょっとだからね」

途中で買ってもらったヤクルトに口をつけながら、見覚えの無い街並みに目を向ける。
おそらく、俺だけじゃなく少年も見覚えは無いだろう。
ニュースでは四年と三ヶ月、あの部屋から一度も出たことが無いのだと言われていた。

途中に通り過ぎた歯医者の看板に「米花町八丁目」と書かれているのが見えた。
そこそこ印象に残る名前なのに、見覚えも聞き覚えも無い。

(ああ、でもこの味は変わらねえな)

車窓から目を離して懐かしい乳酸菌の甘ったるい味に舌を鳴らすと、
慣性の法則に従って前のめりに体が傾いた。

「着いたわよ、くん」

もう着いたのかと目の前のアパートを見上げるが、残念なことにこちらも見覚えは全く無かった。
いや、あるにはあるのだ。ニュースでずっと流れてたから。



千明さんに連れられてぼろい階段を上り、入ったアパートの部屋はすっかり綺麗になっていた。
かなり大きな警察沙汰になったようで、邪魔なゴミや捜査に使えそうな書類は全部外に出されたんだろう。
埃一つないフローリングの床を踏みしめて、奥まで進む。
便宜上「俺の部屋」であるその小さな和室は、やはり他と同じように整理整頓されていた。
隅にそっと置かれたダンボールには俺の服だとか、壊れた玩具が詰め込まれている。

服は……伸びきっていたり染みやずたずたに切り裂かれているものが多く、あまり使えそうに無い。
布類を全部ゴミ箱に移すと、箱は大分すっきりとした。
残るは小さなガラクタおもちゃばかり。

正直、いらない。
持っていても使えるようなものは何も無い。今更電車遊びをするほど幼児返りする気は無い。
だが、これらの物品は正確には俺の所有物ではない。『』少年のものだ。

「ここにあるものは、全部、持って行きます」
「あら、全部?」
「ええ全部」

少年はたすけを俺に求めた。
俺は助けると了解した。俺には、この子どもを保護する義務がある。
このゴミの中に彼が大事にしていた宝物があるかもしれないのなら、俺はそれすらも守ってやろう。
おっさんはな、心のアフターケアの準備も怠らないのよ。




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