自宅にある私物を引き取ってからちょうど一週間。
俺は最後の検診を終えて外行きの服に着替えると、千明さんとともに病院を出た。
すっかり見慣れたどピンクのアルトラバンに乗り込むと、彼女は数枚の書類を俺の膝元に載せた。


「のぞみ園?」
「そう、これからくんが住むところよ」

見せてくれた書類には情緒障害児短期治療施設とかいう無駄に長ったらしい名称がついていた。

「どんなところなんですか」
「色んな子たちが一緒に暮らしているから、すぐに仲良くなれるわよ」

運転に集中しているのか、千明さんはこちらを見ないで見当違いの言葉を返した。
まあ、難しい単語でも字面である程度中身の予想がつくのが日本語のよいところだ。

(情緒障害児、ね)

入院してからずっとしつこかったのにも辛抱して面談に付き合ってやった中年の心理セラピストが、
俺をそう断じたのだと思うと少ぉしムカついた。あくまで少しだ。


帝探病院から車を走らせて四十分。
連れてこられた施設は都市に程近い郊外にあった。
住宅街の坂道を上った丘の上、帝探市を一望できる土地にぽつんと立てられた
四角張ったクリーム色の建物をぐるりと囲むコンクリの塀。
子どもたちを保護するというよりは、間違いなくこれは隔離を目的にしているに違いない。

「きっと、楽しいところよ」

それは千明さんも感じたようで、自分自信に言い聞かせるような呟きを漏らしていた。
子どもたちの笑い声が塀の向こうから響いていたのだけが救いだった。





千明さんから年輩の女性職員に引き渡されると、
施設の内部や自分の部屋を簡単に案内された後、夕食時になって子どもたちに引き合わされた。
子どもたちは総勢三十人ほどで多くはないが、その興味深げな視線が一斉に俺に突き刺さるのは居心地が悪い。
しかし香取とネームプレートをつけた若いお姉さんは、その視線の前へ更に俺を押し出した。

「今日からみんなと一緒に暮らすことになった山下くんです。仲良くしましょうね」

「はーい」と大きな返事が返ってきた。
小学校のような雰囲気(実際彼らのほとんどが小学生だ)に俺はいたたまれなさを感じていた。
だめだ、子どもの振りぐらいなんとかなると思っていたが、
実際に子どもを目の前にして同じように振舞うなんて、難易度が高すぎる!

くん、君と同じチームの子を紹介するわね」

賑やかな食事、子どもたちのうるさい質問責めを何とか終わらせると香取さんは三人の子どもの前に引っ張りだした。
チームについては、案内の時に説明はされていた。
共同生活の習慣を芽生えさせるためにのぞみ園では登下校や食事を共にする班をつくらせるのだ。


「まずはリーダーの香川秀助くん。三年生でみんなのまとめ役です」
「よろしくおねがいします」


色白で神経質そうな少年だ。とりあえず挨拶だけはしておいたが、秀助少年は鼻をならすだけで返事はしなかった。


「次に森本恵美子ちゃん。くんと同じ一年生で、チームのムードメーカーさんなのよ」


秀助少年の色白とは対照的に小麦色の肌、黒いタンクトップに丸刈りの頭。
これで麦わら帽子と虫取り網でもあれば夏休み中のどこにでもいる少年なのだが、香取さんは「恵美子ちゃん」と紹介した。

「あ、私のこと男だと思ってただろ。残念、女の子でしたあ」
「よろしく」

けらけらと快活に笑う少女に返す言葉もなく、挨拶だけに留めておいた。
明るくてとっつきやすいが、地雷も多そうな子だ。


「そして最後に里中圭介くん。同じ一年生の男の子だから一番気が合うんじゃないかしら」


圭介少年と視線が合う。どんよりと濁った目が俺を映しているが、はたしてきちんと俺の存在を認識してるか怪しい反応だ。

「圭介くん、新しいお友達のくんよ。仲良くしてあげてね」
「嫌なこった。こんな、へらへらした作り笑顔の奴、信用できねえ」

その辛らつな言葉は香取さんではなく、はっきりと俺に向けられていた。
秀助もあまり友好的な態度ではなかったが、こいつの拒絶ほど明確な敵意はない。
香取さんが困ったように圭介を窘めようとしたが、彼は話は済んだとばかりにするりと皆の脇を抜けて部屋を出ていった。

「圭介は誰に対してもあんなだから気にしない方がいいよ」

何のリアクションもない俺がショックを受けているのだと思ったらしく、恵美子はこそりと耳打ちした。
気にしてはいないがね、少々前途不安になってきたよ。






のぞみ園は班行動で風呂も就寝も共にする。
勿論、唯一の女の子である恵美子はまた別の女子たちと一緒にまとまるのだが、男子はそのまま。

秀助と圭介は、一度たりとも俺と話をしようとするどころか、目すら合わせなかった。
どうやら俺は使うべき言葉を間違っていたみたいだね。前途不安じゃねえ、こういう状況は前途多難と言うんだ。



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