「おっはよ。昨日はゆっくり眠れたか?」
「おはよ。うん、静かに眠れた」

のぞみ園の朝は七時の起床から始まる。
職員が各部屋の子どもたちを起こして回り、子どもたちは七時半までに身支度を整えて食堂に集まる。
男組よりも早く朝食の席に着いて配膳の準備をしていた恵美子は、わざわざ俺の隣に席を移した。

「今日から学校に通うんだろう? 何組になるんだろうね」
「ああ、そうだね……」

あまり考えないようにしていたけれども、俺の中身がサラリーマンなんてことは関係ない。
日本の憲法には子どもを学校に通わせる義務教育という素晴らしい制度があるのだ。

恵美子曰く、俺が通うことになった帝探小学校は5つのクラスに分かれているらしい。
同学年である恵美子は1年A組。圭介は1年B組。
唯一学年が上である秀助は3年D組に所属している。

「わからないことがあったら何でも聞いてくれな」
「ああ、助かる」

秀助と圭介は全く俺に対してコミュニケーションを築こうという意思が無いので、
恵美子のこの言葉は本当に、心の底から嬉しかった。

だがこの時の俺は少しばかり恵美子の世話焼きを舐めていた。
チームの男連中と違い、この子は本当によく喋るのだ。とても、喋りすぎるくらいに。

朝食中は食べ物の好き嫌いを細かく聞いてきた。
学校の支度をするときにはやれ筆記用具はちゃんと揃っているか、ノートはあるかと自分の持ち物から引っ張り出し、
登校中には車道が狭くて危ないだのあそこは信号が長いだのと注意をする。
…………とにかく話題が尽きずにいつまでも構ってくるのだ。
俺の体格がひとまわり小さいため、もしかしたら彼女の庇護対象に認識されたのかもしれない。



帝探小学校に着くと、恵美子は職員室に案内すると俺の腕を引っ張った。しかし、その手はすぐに離される。
今まで無口を貫いていた秀助が、無理矢理に俺を引き寄せたからだ。

「こいつを案内するのはリーダーの役目。恵美子は教室に行ってなよ」
「何で。私が案内するよ」
「それはリーダーの仕事だ」

恵美子は納得がいかないような表情で秀助を見上げた。
その顔は子どもと引き離された母熊が歯を剥き出しにするのにそっくりだ。
しかし秀助少年も負けていない、不機嫌そうに口を歪めるだけで全くひるまない。
圭介は二人のやり取りにも全く興味が無いようで、さっさと上履きに履き替えると一人教室に行ってしまった。
彼らの微妙な睨み合いに挟まれて物凄く居心地の悪さを感じるが、勿論彼らにそんな俺への配慮は無い。





「…………わかった」

さほど長くも無い無言の勝負に折れたのは恵美子だった。
渋々と教室へ向かう少女の背中を見送ると、秀助は廊下の壁に寄りかかって大きなため息をついた。

「……恵美子は、お前に自分を重ねてるんだ」
「はい?」

こちらを見ようともせず、秀助少年は声音を落として呟いた。

「虐待されて、ここに来たんだろう?
 あいつもそうだから。他人事とは思えなくてほっとけないんだ」

そういえば、そんな設定だったな俺。
少年の記憶が一切ないためいまいちピンとこないが、
この少年はわりと凄まじい虐待を受けてきたらしい。ニュースで報道されていた。

「だから、あまりあいつの負担になるようなことはするなよ。元気だが、根は少し脆い」

初めての会話が「負担になるようなことをするな」は少し寂し悲しいものがあるが、
チームへの仲間意識なんてものはないと思っていた秀助の心持ちを知れたのは悪くない。
中々、気持ちのいい性根じゃないか。

「うん、気をつける」

短く答えると、秀助少年はほんの少し表情を緩めた。


「じゃあ、僕は行く」

問題は、その絆が俺にはまだ適用されていないことだ。
言葉をかける隙もなくさっさと去っていった秀助の背中を見送って俺は大きなため息をはいた。

「結局、職員室どこなんだよ」

リーダー。そこはしっかりしてくれ。
そうツッコミをいれつつも、聞けなかった俺が悪い。
誰か他の児童に聞いて回ろうとしたが、始業時間が近いのか先ほどまでわんさかいた子どもたちは全く姿を消していた。

ああ、もうめんどくせえ。
小さな体に不釣り合いなでかいランドセルを背負い直し、とぼとぼと廊下を歩く。
 
「どうしたの。もうすぐ朝の会が始まるよ」

背後から心配そうに子どもが声をかけてきた。
何だ、まだいたんじゃないか!
俺は慌てて振り返り、子どもが自分の教室に向かう前にと早口に話しかけた。

「すまん、俺ッ、転入生なんだ!職員室の場所がわからないんだけど、君教えてくれないか!?」
「ああ、それなら俺が案内するよ」

少年は俺の必死さに苦笑しながら、階段を指さした。
時間ぎりぎりだというのにこの余裕。いい奴だ。
こそりと胸についた名札バッジを確認すると、そこには衝撃的な名前が書かれていた。

………言っておくが、親のネーミングセンスに驚いた訳じゃないぞ。
俺は、知ってるんだ。このインパクトのある名前を、漫画で。

「江戸川コナン? あの漫画の?」
「漫画? そんなこと初めて言われたけど?」

眼鏡の少年は訝しげに首を傾げた。
あの国民的に有名な漫画を知らないとは、随分と世間知らずの子どもだ。
そういえば、容姿もそっくりだ。
その蝶ネクタイなんて、今時軽部アナウンサーぐらいしかつけないぞ。よく見たら手首には腕時計型麻酔銃らしきものまで装備している、コスプレもここまでやればすごいな。

「君は?」
「ああ、俺は山本。同じ一年生だから、よろしくな」

サラリーマンだった俺は、顔もさほど良くなかった。
運動だってできないし頭の回転も速くはない。
けれど、俺はある一つの能力に秀でていたからこそ、ネットでもトップランクに入るブラック会社に勤め続けているのだ。

そう。不都合なことは知らん振り、だ!






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