昼休みの終わり頃、忍術学園にどたどたと大きな足音をたてて駆け抜ける少年がいた。
彼の名は猪名寺乱太郎。
自慢の俊足で医務室から一年は組の教室まで戻ると、彼は大きく叫んだ。

「みんな、聞いて聞いて!」

がらりと勢いよくドアを開け放つと、同級生たちは一斉に乱太郎を見た。
は組の中で、トラブルが起こるのは日常茶飯事のこと。
今日は一体何が起こったのかと、彼らの眼差しは好奇心に輝いていた。
乱太郎は息を整えて、自分だけが得た大きな情報を皆に伝える。

「一年生に、編入生がくるんだって!!」





始業の鐘が響くと同時に、土井はいつもと変わらない歩調では組の教室に足を踏み入れた。
わいわいと色めきたっていた子どもたちはぴたりと口をつぐみ、
目線だけはきょろきょろと四方を彷徨っている。
どうやら、もう話を知っているようだ。相変わらず耳が早い。

(しかし、ああ、全く。落ち着きはないな)

これからもっと騒がしくなるのだろう。
土井は深く息を吐き、それから戸に視線をやった。

、入りなさい」

小さな少年が、そろりと遠慮がちに戸を開けた。
一年は組の子どもたちの視線に少し躊躇いながらも、土井の傍に立つ。
その姿をしっかりと確認し、子どもたちは叫びを上げた。

「「「「「「「「「「「やったー!!!!」」」」」」」」」」」
「こらっ、うるさいぞお前たち!!」

、やったね、一緒のクラスだよ!」
「あ、うん・・・」

乱太郎が親しげに声をかけるが、ははしゃぐ子どもたちに気後れしたようで一歩下がる。
は組の中では珍しい、引っ込み思案な性格だ。
その姿に微かな違和感を感じて、土井は首を傾げた。

(ウチよりも、ろ組の方がよほど合っていそうな子だな。学園長の考えはよくわからん)

こほん、と土井が咳を立てる。
再びしんと静まった教室で、彼の声だけが響いた。

「今日から忍術学園の一年は組に編入しただ。
 みんな、仲良くするんだぞ」
「「「「「「「「「「はーい」」」」」」」」」

元気に揃った声に、はもう一歩後ずさった。
その様子を横目で見ていた土井は、その姿にまた違和感を感じた。
しかし、今度はその正体をはっきりと掴むことができた。
思い出したのだ、が学園長の座敷で紹介された時は、もっと堂々としていたことを。
見知らぬ大人の教員たちにぐるりと囲まれても決して物おじせず、むしろ――

「先生、の部屋はどうするんですか」
「誰と一緒になるんですか」
は誰がいい?」
「なめくじ好き?」

再び騒がしくなった子どもたちに、土井は慌てて己の思考を切り替えた。
誰と同室にするか、全く決めていなかったのだ。

「先生、誰かと一緒にするなら僕たちの部屋が一番いいと思います」

しかし悩む必要はなかった。学級委員長が手を上げた。
考えるまでもなく、考えたところで二人以上の適任はいなかった。

「そうだな。庄左ヱ門、伊助。をよろしく頼むな」
「はい、わかりました」

伊助が手招きとともにを自分たちの机に座らせるのを見て、土井は胸をなでおろした。
大人しい編入生ではあるが、は組でも何とかうまくやれそうだ。
元よりよい子たちの集まりである。
今は表情が硬いが、そのうち自然に笑い出すだろう。

このとき土井はほんの少しという存在を甘くみていた。
は組っぽくない、などと考えていたのが最たる例だ。

が決して普通ではないことを、ある意味誰よりもは組らしいは組タイプの子どもであることを、
土井は後々イヤと言うほど理解し胃痛に苛まれるのだが、それはまだ先の話である。








(何だか、大人しい子だなあ)

庄左ヱ門のに対する初印象は、担任の土井先生と非常によく似通っていた。
何せ喋らない。いや、授業中に喋るのは勿論よくないことだけれども、
それを差し引いてもは自分たちと。一線を引いていた

放課後、伊助と庄左ヱ門は早速を自分たちの部屋へと案内してやった。
庄左ヱ門が先導し、後ろに伊助とが横に並んでついていく。
肩越しに後ろを振り返ると、新しい同級生に嬉しげに学園のあちこちを説明している伊助がいた。
その言葉に頷いたり頷かなかったりするは、伊助と比べると二回りも小さいし、細い。

「ねえ、は学校に来る前は何をしていたの?」
「お父さんの、畑仕事の手伝い」
「農家の子なんだあ、僕はね」
、ここが僕たちの部屋だよ」

庄左ヱ門は部屋の戸を開け放つと、伊助を遮ってに声を掛けた。
普段冷静だと言われてはいるが、庄左ヱ門だって、新しい編入生のことが気になるし、もっと話したかったのだ。

「あれ、新しい机がもう置かれてるや」

部屋に入ると、新しい机と布団と予備の制服が隅に置かれていた。
机の上に置いてある風呂敷は、おそらくのものだろう。
こういった雑務は事務の小松田が担当しているのだが、随分と仕事が早い。

(最近は編入生が多いから、慣れてきたのかな)

「なあ、編入生って多いの?」

まるで自分の心を読んだようなことをが尋ねるものだから、庄左ヱ門はぎくりと肩を揺らした。
そんな姿を不思議そうに見ながら、伊助が答える。

「珍しくはないよ。元々喜三太と金吾は編入生だし、最近は立て続けにもう二人入ったしね」
「二人?」
「そう、四年生の斉藤タカ丸さんと、三年生の柿崎道孝先輩。
 ……………柿崎先輩はもうやめちゃったけど」

自分の荷物を解いていたはぴたりと手を止めた。

「何でやめちゃったの?」
「さあ……僕はそんなに関わりなかったから。
 先輩と仲の良かった乱太郎なら知ってるんじゃないかな」
「ふうん」

庄左ヱ門と伊助に背を向けて、は再び荷物の整理を始めた。
黙々と手を動かす後ろ姿を眺めながら、伊助は手持無沙汰に掃除を始めた。

庄左ヱ門は、じっと、を見続けた。
先程の会話を気にしたわけではない。無言のが気にかかるわけではない。
大した理由は無いのだが。

(今初めて気づいたけど)

彼の手は、

(すごく、傷だらけなんだよな)

まるで、かぎ縄でひっかけたような。
まるで、手裏剣を掴み損ねたような。
まるで、忍術の練習を積み重ねてきたような。

「………なに、庄左ヱ門」
「ううん、何でもない」
「庄ちゃん、暇なら掃除手伝ってよー」

無理やり箒を持たされながら、庄左ヱ門はもう一度の小さな背中を眺めた。
もう彼は、こちらを振り返りはしなかった。



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