晴れ渡った夏の青空。
太陽は惜しみなく地上へと降り注ぎ、こんな日は風通しの良い教室でまったりと惰眠をむさぼりたいものだ。
もちろん、そんな天気とは関係なく、忍たまたちの授業はいつも通り行われるけれど。

「今日は裏裏山まで校外ランニングを実施する。全員校門まで集合するように」

広い青空が見渡せる校庭には、一年は組の子どもたちが整列していた。
彼らの正面に立つ一年は組実技担当教諭の山田は厳めしい声音と表情で授業内容を告げたが、
返ってきたのは諦めと不満の混ざった子供たちの「えー」という言葉だけであった。
誰だって、真夏のランニングは嫌になる。
渋々と校門へと歩く子どもたちの後に続くと、横から声を掛けられた。

はランニング嫌じゃないの?」

同級生たちと一緒に不満の声をあげなかったに気づいた、乱太郎だった。
は小さく頷いた。
表情は変わらないが、いつもより少し楽しそうにも見える。

「座ってるより、走る方が好き」
「あはは、私もー。そういえば、コースわからないよね? 一緒に走ろうか」
「よかった、俺も」

乱太郎の提案に、は嬉しそうに目を細めた。

「乱太郎と一緒に走りたかったんだ」





準備運動を終えて先生の合図と共に学園を出ると、と乱太郎はあっという間にトップを独走した。
裏裏山までの道は、ランニングで往復一時間はかかるコースなのだが、
は体力の温存など考えていないかのように全力で走る。
これでは折り返しまでにバテてしまうと乱太郎が忠告しようとすると、
彼は走りながらも器用にくるりと背後を振り返った。

「なあ乱太郎。この一本道を真っ直ぐにいけばいいの?」
「ううん、途中で二つに道が分かれて、そこを右に、行くよ」

その言葉を聞いて、は悪戯っぽい表情で笑った。

「じゃあ、その分かれ道まで競争しようよ」

楽しそうな声音。本当に、運動するのが好きで好きでたまらないのだ。
乱太郎が答えるのも待ち切れず、更に加速したの背を、
ずるいと思いながらも乱太郎は追いかけた。
これでも、走ることに関しては同級生の誰よりも速い自信があるのだ。
にだって負けない。負けたくない。

「二人とも飛ばし過ぎたよ!」

遠くから聞こえる同級生の言葉を無視し、ぐんぐんと距離を延ばす
そのすぐ後ろを風を切って追いかける乱太郎。
分かれ道はそう遠くない。
笑いあっていた顔は引き締まり、互いに会話も無く駆け抜ける。
二人の影は徐々に縮まり、とうとう、重なった。



「はー、負けた」
「やった!!」

ゴールの分かれ道。
は膝に手をつき、乱太郎はガッツポーズをした。
どちらも息は荒い。にいたっては残りの行程を走り抜けるか不安になるほどに疲れ切っていた。

「ちょっと、ゆっくり走ろう」
「賛成ー」

五分も休めば後続の同級生たちに追い抜かれる。
十分も座っていればビリのしんべえにすら抜かれて山田先生に怒鳴られるに違いない。

再び小走りに進み始める。
拓けた一本道は徐々に木陰の中へと入ってゆき、
水気を含んだ森の冷たい空気が肌にまとわりつくのが火照った体に心地よい。
二人だけの静寂。二人きりの時間。
柔らかな沈黙を静かな声音で壊したのは、だった。

「ねえ、乱太郎は絵が好きなの? 初めて会った時、何か描いてたよね」

他愛ない雑談。しかし、それがから切り出されたことに、乱太郎は密かに驚いた。
本当に珍しい。いや、そもそもいきなり追いかけっこを始めたところから、今日のは珍しいことだらけだ。
教室では自分から口をきくことすらしないのに。

「うん、好きだよ。よく自由時間は描いてるんだ」
「そうなんだ」

乱太郎は知らない。
がこの『他愛ない』雑談を切り出すために数日前から試行錯誤し、
そして今やっと達成したことを。

「庄左ヱ門も言ってた。先輩と一緒に絵を描いたりするんでしょ」
「ああ、柿崎先輩……転校しちゃったけどね」
「何で転校したの?」

走りながら、乱太郎は困ったように黙りこんだ。

「家の都合、らしいよ。詳しいことは知らないけど先生が言ってた」
「……………………………へえ」

はじっと乱太郎の顔を読む。
そこに嘘は無いのか、隠しごとがあるのではないのか。
それはにとって都合の良い願望であったが、残念なことに乱太郎は本当に何も知らない。

「そういえばね」

ほんの少し足取りを緩めて、乱太郎は宙を見上げた。

「同じことを伊賀崎先輩にも聞かれたことあるんだ」
「え?」

聞き返す
木陰の道を抜け、再び太陽が照り返す乾いた道に戻った。
目が痛い。乱太郎を、直視できない。

「三年生の伊賀崎孫兵先輩。柿崎先輩と同じクラスで仲が良かったから、
 転校のこと、すごく納得してなかったみたいなんだ」

私が知るわけないのに、とうんざりしたような乱太郎の顔を見ることもできず、
は俯いたまま走り続けた。

(伊賀崎、孫兵先輩ね)

その伊賀崎という人は何かを知っているのだろうか。
いや、何も知らないのかもしれない。

それでもは興味が沸いた。
兄の友人と呼ぶべき人物は、一体どんな人なのだろうか。

「伊賀崎先輩はねえ、ちょっと変わった人なの」
「どんな人なの」
「毒蛇とか毒虫を偏愛してる人で、普段はそんなに変でもないし面倒見のいい先輩なんだけど」

言葉が途切れる。
眩しい景色にも慣れてきたが顔を上げると、乱太郎は口をもごもごと動かすばかりで言い淀んでいた。

「だけど」

乱太郎は走りながら、軽く目を閉じた。
思い出す。が転入する少し前のできごと。
伊賀崎が医務室に乗り込んで、自分の両肩を強く掴み、柿崎道孝の行方を尋ねて来たのだ。
いや、あれは尋ねるなんて穏やかな表現では例えられないほどの――

「乱太郎?」

心配そうに名を呼ばれて、乱太郎は慌ててを見た。
息も乱さず自分の隣を走る同級生に対し、何となく、予感があった。
が伊賀崎孫兵に会いに行く予感。
ならば、これだけは、言っておかねばならない。


「こと柿崎先輩の話をするときの伊賀崎先輩は、とても、恐くなるんだ……関わらない方がいいよ」


乱太郎が悩んだ末に何を伝えたいのか、は理解した。
それが不確かな忠告ではなく、明確で具体的な警告であることを。
だから、乱太郎の真剣な眼差しを受けて、大きく頷いた。


「うん、わかった」


頷いた上で、わかったと口にした上で、は既に決断していた。
伊賀崎孫兵に会いに行くことを。



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