それはいつもの光景である。

「ねえ、ドッジボールしない?」
ぁ、一緒に鬼ごっこしようよ!」
「ところで、なめくじさんは好き?」
「………え、いや、うんっ?………」

乱太郎とランニングを共にしてからというもの、
はやたらと一年は組の子どもたちにひっつかれるようになった。
鬱陶しいぐらいに、しつこいぐらいに。

(多分、乱太郎が何か言ったんだろうけど)

走ることが好きだと言ったのが、まずかったのかもしれない。
とっつきにくい編入生の好むところを知った子どもたちは、
忍者の卵らしくピンポイントにを外遊びに誘ってくるのだ。
その流れで食事や風呂も一緒になるのだから、はしっかりと一年は組のペースに巻き込まれている。

忍術学園の探索をするにしても、兄と縁のある伊賀崎孫兵と接触するにしても、
独りの時間がなければ何もすることができないというのに。

(何とかしないと)

しかし、やきもきとしていたに、何もせずともチャンスは存外簡単に回って来た。
「委員会の時間」である。



は長屋の入り組んだ廊下を独りで歩いていた。
周囲には誰もいない。
一年は組どころか、他の生徒たちも誰一人として出払っている。
みな、週に一度の委員会活動に参加しているのだ。
伊賀崎孫兵も当然いないだろうが、彼の部屋を見つけておきたかった。

(それにしても、広い長屋だな)

瓜子城の忍者隊は総勢五十名の小隊で、人が足りぬ時には派遣忍者を雇っている。
生徒だけでも一学年三十名、学年が上がるにつれて人数は少なくなるが、 それでも全学年で約百五十名ほどになる忍術学園の長屋とは、規模が違いすぎる。
勿論、百五十人を一つの長屋に収容することはできず、
忍術学園には生徒たちが寝泊まりする長屋の棟が二つに分かれて在る。

本来は一年から三年、四年から六年と下級生上級生の長屋に整えられていたのだが
学年の持ち上がりの際に部屋を移動しなかったり、人数調整で部屋の交換を行ったりとを
繰り返すうちに今ではすっかり部屋の配置はバラバラに混在している。
学園に親しんだ上級生にしても、自分と縁の遠い学年や組の長屋がどこにあるのか
正確に把握していない者もいるぐらいにややこしい部屋割りなのだが、

勿論、そんな長屋事情を新参者のが知る由も無い。
彼はぐるぐると歩き続けた。延々と。地道に。




「はぁ」

伊賀崎孫兵の部屋が中々見つからず、は長屋の縁側に足を伸ばして座った。
一年の部屋から道なりに進めば、三年の部屋に辿りつくだろうと思っていたのだが、
彼は何故か学年を飛び越して五年の長屋の前にいた。
見落としたかと道を変えれば二年、別の棟に進めば六年長屋、ぐるりと一周すると何故かまた五年の長屋が出現する始末。

意味がわからない。
どういう部屋配置になっているんだこの長屋。

陽のあたる庭先には魚が泳ぐ小池があるだけだ。
時折不規則に揺らめく水面をじっと眺めるの顔には、
既に疲労の色が漂い始めていた。

こそこそするのをやめて道を聞こうにも、あたりには誰もいない。
長屋探索を始めた頃には頭上にあった太陽も、今では大分傾いている。
委員会が終われば、また一年は組の誰かしらがを構いにくるわけで、
そうなれば当然伊賀崎孫兵の部屋を探す時間などなくなってしまう。


「どうして、うまくいかないかな」

疲れた足をぶらぶらと揺らしながら、独り呟く。
優秀な兄ならもっと上手くやれるだろうに。
馬鹿な自分といったらこの程度の探索も満足にできやしない。

元から根が不器用なのだ。身体を動かすこと以外は何をやってもうまくできない。
そんなをやる気がないからだと瓜子城の忍者隊は強くいびったが、気分の問題ではない。
本当に、馬鹿というか愚直と言うか……要領が悪いのだ。

そんな時、にもわかりやすいコツを伝授してくれたのは兄だった。
そんな時、の怪我を手当てしてくれたのも兄だった。
そんな時、と彼らの間に立ちふさがり身を呈して庇ってくれたのも兄だった。



そんな優しい兄はもういない。
この学園のどこかで、この学園の誰かに、殺された。


「………………もう少し、頑張ろ」

は重い腰を上げて力強く立ち上がった。
あの笑顔を忘れぬうちに、この怒りが冷めぬうちに。
はがむしゃらにでも動くしかないのだ。


その決意に応えるように、彼に一つの機会が巡って来た。


「おい、そこの一年生! 今は委員会の時間だぞっ!!」


外の庭を突っ切るように駆け抜け現れた少年が、に大きな声で呼びかけた。
薄い緑の制服。
その意味するところを、は既に庄左ヱ門から聞いていた。

「あのっ、僕、編入生でまだ委員会に所属してないんです」

は胸をおさえた。ドキドキする。
こんなラッキーがあっていいのだろうか?

「ところで、先輩は三年生ですよね?」
「ああ、そうだ」
「三年い組の伊賀崎孫兵先輩のお部屋に伺いたいんですけど、場所をご存知ですか?」

少年は驚いたように目を見開き、それからすぐに頷いた。

「勿論だとも、よしっ、僕が案内してやろう」
「わああ、ありがとうございます!!」

三年生は親切そうな笑顔で、己の胸をぱんと叩いた。

「僕は三年ろ組の神崎左門、い組の孫兵とは結構仲が良いからなっ」
「そうなんですか。僕は一年は組のです。よろしくお願いします」
「ああ、団蔵と同じ組か。では行くぞ!!」

の手首を強く掴むと、左門は長屋に背を向けてずんずんと走り始めた。
引きずられる形で廊下から地面に降りたは訝しげに首を傾げたが、それでもついて行く。

「ところで、長屋でいいのか? 孫兵は生物委員会の集まりに出ているから、こちらにはいないぞ」
「はい、大丈夫です。委員会のお邪魔はできませんし。
 先に部屋の場所だけ確認しておきたいんです。毒虫のお話が聞きたくて……」
「ふーん、変わってるな」

あらかじめ決めていた表向きの動機を話しながら、夏葉は不安げに眉を先輩寄せた。
先程から神埼の進む方角には長屋が全く無いのだ。
それでも、まさか三年生の先輩が、同じ三年の長屋の場所を間違えたりはしないだろう。
忍者の学校に方向音痴の者がいるわけがないし、いたとしてもこんな自信満々な態度を取る筈が無い。


(こっち、校庭しかないよな……)

は黙って神崎左門の後ろを走り続ける。
ここから地獄の迷走フルマラソンが始まるとも知らずに。





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