いつもは生徒たちで賑わう放課後の校庭。
委員会活動の今の時間は誰もいないし、原則いてはいけない決まりになっている。

しかし、そんな決まりなぞお構いなく、校庭を堂々とぐるぐると周回し続ける生徒が二人。

「あれー、おかしいな。三年長屋はこっちのはずなんだが」
「んなわけっ、ないです!!!」

腕をとられたままひたすら同じ場所をランニングさせられながら、は叫んだ。
何度も立ち止まろうとしたのだが、二学年差の体格の違いは大きく、
勢いを弱めることもできずに引きずられてしまう。

「ああ、そうだ。あっちだった!」

左門はぐるんと方向転換して再び全速力で走り出した。
学園に来てからまだ十日も経たないでも、そちらに三年長屋がないことがわかる。
たまらず、叫んだ。

「そっちはっ、正門ですっ!!!
 もう、いいです。自分で探しますから、止まってください!」
「大丈夫だ、もうあとちょっとだから頑張れ!気合いだ!!」

走りながら左門は顔だけをこちらに向けて、輝く笑顔を見せた。
学園では次屋三之助といっしょくたに迷子コンビ扱いされている左門にとって、
後輩に道を聞かれるということはまず決してありえない。
だから、こうしてに頼られたことが実はすごく嬉しい。
絶対に何としても目的地に案内してやりたい。

「僕がしっかりを送り届けてやるからなっ!」

なので今のが力の限り首を横に振って拒否しているのは、綺麗にスルーだ。


「ここだっ!」
「ここは鐘楼です!」

「ここだなっ!」
「ここは一年の教室です!」

「ここかっ!?」
「何で学園長の庵についてるんですか!!」

は肩で息をしながら、左門を睨んだ。

(この人はわざとやっているのか? 実は俺を長屋に案内する気なんてないんじゃないのか?)

勿論、左門にそんな意地悪をする気は欠片も無い。
純粋な親切心でを連れまわしているだけなのだ。
それが、一番厄介なのだけれど。

「あの、神崎左門先輩、今日はもう、結構ですから。日も暮れ始めましたし」
「馬鹿野郎!!」

遠まわしに断ろうと、丁寧に、丁寧に言った言葉を、左門は怒鳴り返した。
理不尽すぎる。
それでも、左門はとりあえずは止まってくれたし、掴んでいた腕も離してくれた。
代りにその両手は、今度はがっしりとの両肩を掴んだ。

「忍者を目指すならこんなことで諦めるんじゃない!!
 一度決めたらもう戻るんじゃないっ、常に前を進め!!!!」

(いや、あんた進んでないから。ぐるぐる回ってるだけだから!!)

すんでのところまで口に出そうになった荒い言葉をなんとか喉の奥にひっこめて、
は何とかこの困った先輩を言いくるめる言い訳を探す。
このまま迷走ランニングに付き合わされたら、
伊賀崎の部屋に辿り着くどころか、自分の部屋に戻るのも危うい。

ぐるぐると悩み続けるの手首を、左門は再び握って歩き始めた。
やばい、また引きずられる。
が慌てて考えのまとまらぬまま口を開くのと同時に、頭上から誰かが声を掛けた。

「こら、神崎。今は委員会の時間だぞ」
「あ……土井先生」

にとって最も身近な教師である、一年は組教科担任、土井半助。
二階の窓からひらりと飛び降りた先生に、二人は立ち止まる。

「何をしているんだ」

兄は学園で死んだ。そこに先生方が全く関わっていないはずがないと、は思っている。
なので彼にとって全ての教師は信用できぬものでもあり、積極的に関わりたいものではなかった。

「土井、先生ぇ……!」

けれど今この瞬間、土井が現れたことには心から感謝し、安堵した。
もしここに現れたのが利吉でも、同じことを思っていただろう。
………神崎の迷走は、それほどにの心身をガタガタにしていた。

「一年生が道に迷っていたので案内しているのです。送ったらすぐ委員会に戻ります」
「神崎が、案内ねえ」

自分にやましいところはないのだと堂々とする左門の背後で、はぶんぶんと首を振った。
言葉にせずともその態度で、土井には何があったのか大体わかった。

「わかった。私がを預かるから、お前は委員会に戻りなさい」
「えー」
「潮江が探していたぞ、ほら、早く」

土井に急かされて、神崎は渋々を離した。

「すまん、。また何かわからんことがあったら頼ってくれ」
「はい。ありがとうございます神崎先輩」

眉をハの字に寄せて、心底すまなそうにする左門の表情を見てしまえば、
彼がわざとを困らせるつもりでないのは一目瞭然だ。
疑ったのはちょっと悪かったな、と思いながらも、は左門の顔をしっかりと心に刻み込んだ。

(絶対、この先輩にはもう頼らないぞ)





左門がまた見当違いの方向に走っていくのを見届けると
土井は「では行くぞ」と言っての手を握った。
こんなに人を子ども扱いする先生だったかと、は一瞬むかっとしたが、
疲れているので手を払いのける余力も無い。

の歩調に合わせてゆっくりと歩き始めた土井は、
にこにこと笑いながら彼をねぎらった。

「神崎は方向音痴だからなあ、大変だったろう」
「………はい、とても」
「学園にはクセの強い奴らが揃っているから、慣れるまでが大変かもしれんが……」

慣れるのだろうか。慣れたくない気もする。

「そういえば、は農家の出だったな。学校にはもう慣れてきたか?」
「あ、はい。俺、家の手伝いばっかりであんまり学校とか行ってなかったけど、楽しい、です」

土井は、より一層笑みを深くして、握っていたの掌を表に裏返した。
傷だらけの、みじめで汚い手。
そんな手を、土井は優しげに撫でてやった。

「そうだなあ、頑張ってるなあ」

親指と人差指の股を切り傷を指差す。

「これは、刀を抜き差しした傷」

手の甲の幾筋もの赤い線をなぞる。

「これは、かぎ縄の爪に引っ掛かった痕」

手首の擦り傷をつつく。

「これは、何度も縄抜けを練習したのかな」

が反射的に手を引っこめようとするのを許さず、
土井は手を握ったまま顔を近づけた。
歪んだ笑顔。その顔を見たくないのに、蛇に睨まれた蛙のごとく、夏葉は動けない。

「最近の農家とは、随分とすごいな。、これじゃあ、まるで」

その声も、表情も、もはや土井のものではなかった。
神崎左門の迷走全力ランニングとは比べ物にもならぬほど、の心臓は激しい鼓動を打ち続ける。


「忍者の特訓、みたいじゃないか」


ぞっとするほど冷え切った汗が首筋を流れ落ちた。
気づいてしまった。いや、気づかなかった今までの方がおかしい。

本物の土井は、こんなに『小さく』ない。






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