鉢屋の姿を捉えた瞬間、は全身の肌が粟立った。
こいつは敵だと、本能が訴える。
逃げなければ。(どこへ)戦わなければ。(勝てないのに)
避けなければ。(会ってしまった)立ち向かわなければ。(どうやって)
相反する脳の指令が交錯し、の身体は固まってしまった。

「編入生のくんだろう。怪我はない?」

花房を乗り越えて、鉢屋が距離を詰める。
彼の右手がの頭にそっと触れようとした瞬間、は弾かれたようにその手を叩き落とした。

「触るな!!」
「え?」

その手で自分の首をしめたくせに、 何を今更親しげにふるまう必要があるのだ。
は歯をむき出しにして鉢屋を威嚇し続けた。

「近づくな、名前も呼ぶな! あっち行け!!」
「……えっと、僕は君に対して何か嫌なことしたかな?」

鉢屋の困惑した顔があまりに自然過ぎて、尚更苛立ちが募った。
花房を縛る大男は何も言わずじっとこちらを見るだけで、
鉢屋もそれじゃあさようならと立ち去る気配は無い。
三人が三人とも無言になり、誰も言葉を切り出せずにいると

「おーい、ー、大丈夫かー!!」

乱太郎、きり丸、しんべえがこちらに走って来ていた。
彼らは二人の先輩の姿を見つけると、驚いたように声を上げた。

「「「中在家長次先輩に不破雷蔵先輩? どうしてここにいるんですか!」」」
「図書委員の新書の買い出しに行って来たんだよ。ほら」
「うわあ、こんなに沢山。いい金になりそうっすね」

本が何冊も包まれた風呂敷を見つけて、きり丸の目が銭の形に変わった。
急に和気藹藹とした雰囲気についていけず、は乱太郎に尋ねた。

「中在家先輩に、不破雷蔵先輩?」
「ああ、は知らなかったよね。こちらの背が大きくて縄標を使わせたら学園一の腕前を持つのが、
 六年い組の中在家長次先輩。 図書委員長でもあるんだ」

乱太郎の紹介を受けて、中在家がぺこりと軽く頭を下げた。
もつられて会釈する。
そして、と乱太郎は鉢屋を手で紹介する。

「こちらが五年ろ組の不破雷蔵先輩」
「鉢屋じゃない、の?」


の素朴な疑問に、周囲はぽかんと表情を崩した。
その後すぐに不破が笑いだす。

「はははっ、そうか、僕と鉢屋を間違えて、そんな恐い顔をしたのか!」
「鉢屋先輩はいつも不破先輩の変装をしてるんだ」
「たまに僕の顔も使うんだよ」
「鉢屋先輩、人をからかうのが好きだから。もいたずらされたんでしょ」

不破はもう一度に近寄り、腰をかがめて視線を同じにした。
何度見ても、その顔は鉢屋そのものだが、
浮かべる表情はとても優しげで、穏やかだった。

「改めてまして、僕は不破雷蔵。鉢屋とは同じクラスなんだ。
 ……普段は鉢屋もそんなに嫌な奴ではないんだけど、どうしたんだか」
「知りません!」

しかしは頑なだった。



その頑なに拒絶する態度に、不破は首を傾げた。
鉢屋は確かにいい奴ではないが、ここまで嫌われるほど人に不快感を与える男でもない。
不破は笑顔の下でをじっと観察した。
何かこの少年にあるのだろうか。人づきあいでも要領の良さを発揮する鉢屋が、うっかり心を乱した原因が。

。一年は組の編入生)

不破の知っている情報はそのぐらいだ。見た限りでは平均よりも体つきが小さい。
なのに先輩であろうが、嫌いな奴は呼び捨てにするほど意固地で、
自分の手を叩くぐらいに気が荒いのには驚いた。
ああ、でも悪いことは悪いと気が付いている。
何も関係ない不破に酷い対応をとったことを、後悔している顔だ。謝る糸口を、探している顔だ。

「あの、不破先輩。手を叩いたのは、ごめんなさい」
「いやいや、いいんだよ。気にしてないから」


(そういえば、)

この意地っ張りな表情が妙に懐かしい。
そのとき、不破は別の子どもとを一瞬だが同一視した。

自分たちがまだ彼らのような一年生の頃。
丁度こんな暑い夏の日に、少し時期を外してやってきた編入生。
今ではその顔を思い出すことも出来ない、子ども。もう決して戻らない過去。
もしかして、いや、もしかしなくとも、だからこそ鉢屋はこの子どもに固執するのだ。
その考えに至った瞬間、不破はほんの少しだけ鉢屋に同情心が沸いた。


「……くん。鉢屋三郎のことを嫌わないでやってくれるかな。あいつもきっと悪気はなかったんだよ」
「嫌です!」

おいおいどうするんだ鉢屋三郎。
お前、本気で嫌われてるぞ。
不破は心配するような言葉とは裏腹に、口元をひくつかせて笑いをこらえた。

彼はが瓜子城の間者であることを知らない。
がどれほど鉢屋を毛嫌いし、苦手意識を持っているかもわからない。
彼はエスパーではないのだ。

けれど鉢屋三郎のことは、彼が何を考えてに接しているかは、何となく察してしまった。
五年も付き合っていれば、大体のことはわかる。だからこそ、友人の不器用さが面白くてたまらなかった。



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