「暇になっちゃったなあ」

柿崎道孝よりも幾月か早く転入し、忍術学園の転入生ラッシュの先陣を切った斉藤タカ丸は、
四年生に所属するものの、それまでの忍者の知識が全くないため一年生の授業によく顔を出している。
今日も一年は組の実技授業に入る予定だったのだが、
当のは組の生徒がまさかの集団脱走をしたために、急きょ、一日休みになってしまった。

(先生方もぴりぴりしているし……)

一年は組がいなくなったと聞いて、自分も探そうかと教科担当の土井に申し出たのだが
彼は「私たちが追いかけるから、お前たちは何もしなくていい!」と一喝するだけだった。
自習する気にもなれず、タカ丸は予定より一日早く、実家に戻ることにした。




町は変わらず人でごったがえしていた。
田舎から出てきた人間はたいそう驚くが、特別祭りや催しがあるわけではなく、この町はいつもが賑やかだ。
特に、タカ丸の家の通りは騒がしさが途絶えることは無い。
人気の髪結い処の前に常に女性が列をつくるため、身内のタカ丸ですら入るのに苦労する。

(まだ、店じまいまで半刻はあるか)

常ならば学園から帰って来てもすぐ父親の仕事の手伝いにかかるのだが、
たまには夕暮れの町を散歩するのもよさそうだと、
実家に続く辻道を通り過ぎて町をぐるりと一周することにした。
町を歩くのは好きで、通りゆく人を眺めるのはもっと好きだ。鋏を持たせてもらえなかった頃から、タカ丸はこの町を歩きながら
あの人の髪型はよく似合ってるとか、自分だったらああするのにとか、日夜イメージトレーニングをしていたのだ。

(うわあ、あの髪は酷いなあ)

町の南隅まで歩くと、町と外を隔てるように流れる小川がある。
そこにかかる橋を半ばまで渡ったタカ丸は、視界の端に映る一人の少年に酷く顔を歪めた。
川原で膝を抱えて座っている少年の髪は酷くぼさぼさだったのだ。
身なりは小ぎれいなので決して手入れができないけでもないだろうに、あの酷さは何なんだ、
髪結いの前であんな髪を放置しているなんて、喧嘩を売っているのではないだろうか。

普段は温厚でゆるい性格なのだが、こと手入れの悪い髪に関しては短気を通り越して攻撃的になるタカ丸の悪い癖が出た。
さらに悪いのは、彼はその点に関して思うだけではこと足らず、

「きみ、どうしてそんなに酷い髪なのに平気なんだ!!?」

口に出してしまうのだ。
橋を降り、激高した勢いで川原に座ったままの少年の肩を掴む。
驚いた様子で振り向いた少年と真正面から視線がかち合い、タカ丸は目を見開いた。
西日で照らされた少年の顔は、痛々しいほど赤黒く腫れていたのだ。

「俺に、なんか用ですか?」
「きみ、どうしてそんなに酷い怪我なのに平気な顔してるの!?」

タカ丸は慌てて自分の手ぬぐいを川の水で浸し、絞ったものを子どもの頬にあてがってやった。
驚いた顔の少年は、手ぬぐいを押し返そうとタカ丸の手首を掴んだ。

「あの、大丈夫です。そんなに痛くないですから」
「遠慮しなくていいよ。僕はこの町の髪結い屋の息子なんだ」
「はあ」

身元の怪しい者ではないと言いたかったのだが、
伝わらなかったようで少年は不思議そうに小首を傾げた。
冷えた手ぬぐいを押しつけたまま、タカ丸は優しげな声音で言葉を変えた。

「きみ、家族の人は?」
「えっと、僕、家に帰る途中なんです」
「近いの?」

少年はうっと言葉を詰まらせた。
こんな町の外れに佇んでいて、家に帰るというのも嘘くさい。
彼が座っていた川原は寝転がるにもちょうど良く、野宿もしやすそうな場所だった。

「このあたりは暗くなると藪蚊が酷いんだ。
 最近は忍者もうろついているし、今夜はうちにおいで」
「大丈夫です。ちょっと疲れてたから休んでただけです」
「ううん。本当に遠慮しないで。ここで君を放っておくのは僕の気が済まないし」

その酷くぼさぼさの髪を撫でながら、タカ丸は笑みを深くした。
もう少し勘の良い子どもならば、タカ丸を子攫いと間違えて警戒してもおかしくないのだが、
少年は、困ったように、おずおずと手を取った。

(ここの町の子なら、絶対ついて行ったりしないんだけどなあ)

タカ丸は自分のことを棚に上げて、少年を店に連れ帰った。
時刻も丁度よく、店の営業は終わっていて、通りもがらんと人がいなくなっていた。

「何だタカ丸。帰って来たのか」
「うん、ちょうど授業が空いたから」

奥から出てきたタカ丸の父は、息子の後ろに隠れていた少年に気づき、
酷く腫れた頬をじっと眺めてから、また奥へ引っ込んで行った。

「これはよく効くから、たっぷり塗っておきなさい」

再び出てきた父の手には薬が握られていた。タカ丸が受け取る。
少年は恐縮したように肩をすくめていたので、「どうぞどうぞ」とその背中を押して鏡台の前に座らせた。
冷えきった幹部に優しく薬を塗ってやったが、酷くしみるらしく少年は顔を盛大にしかめた。

「それにしても酷いね。口の中も切っているでしょう」
「大丈夫です」

とても大丈夫そうに見えないが、少年は頑なにタカ丸を拒絶する。
穴があくほどじっと鏡越しにその手を見つめられて、
接客になれているタカ丸も気まずさを感じる空気だ。

「タカ丸さんって、いうんですよね」
「え、ああ」

何故名前を、と思ったがそういえば父が呼んでいた。

「タカ丸さんも忍者なんですか」
「どうしてわかったの?」
「………手が、忍者の手だから」

タカ丸はまじまじと自分の傷だらけの手を眺めた。
意識したこともなかったが、確かに両手にこれだけ多種の怪我が多い髪結いというのもいないだろう。
素直に感嘆した声をあげる。

「すごい。よくわかったね!」
「……別に」

複雑そうな顔で少年は目をそらした。
立派な観察眼なのに、苦虫を噛みつぶしたようなまずい表情だった。

「僕はまだまだ見習い忍者だけどね。最近町をうろついているのはドクタケっていう
 悪い城の忍者なんだ。知ってる?」

問い掛けに、子どもは首を振って否定した。

「多分、また戦を仕掛けようとしてるんだ。赤茶色の色眼鏡をかけていたり、
 怪しい人には近づいちゃいけないよ」
「…………何でみんな、戦うんだろう」

少年は押し殺した声で低く呟いた。
短い言葉にこめられた強く烈しい感情に気付いたタカ丸は、彼の髪を櫛で整えながら静かに尋ねる。

「戦は嫌い?」
「戦も、忍者も、大嫌い」
「そっか」

まだまだ見習いとはいえ、忍者を目指すタカ丸は複雑な顔で微笑んだが、
少年を責めるほど大人げなくは無かった。
戦は、人から様々なものを奪い取っていく。
この街もナメコ城が近いため、直接戦禍に合いはしないものの、
刀を引っ提げた落ち武者に食料や銭を掠奪されたことは何度もある。

「タカ丸さんは」

鏡越しに少年と目があった。
瞳の奥には、哀しみと怒りが綯い交ぜになった暗い感情が這いずりまわっている。
彼もまた、大切な何かを奪われたことのある人間なのだ。

「どうして忍者になるんですか」

いつの間にか、父はいなくなっていた。
聞かれてまずい話ではなかったが、その気遣いは嬉しかった。

「僕の家はじいちゃんの代から髪結いをやっていて、
 そのじいちゃんは実は抜け忍だったんだ」

突然の告白に少年が驚いて身体を揺らす。
優しい手つきで櫛を梳きながら、タカ丸は語り続ける。

「そのせいで事件に巻き込まれたり命を狙われることもある。
 忍者の先生や友人が助けてくれたから、大事にはならなかったけど」
「………抜け忍の家なら、逃げたり隠れたりしなくていいんですか?」
「僕の夢は、じいちゃんと父さんの店を継ぐことなんだ」

逃げたり隠れたりを繰り返せば、もう一つ所で髪結いの店を開くことはできないだろう。
何より、タカ丸は生まれ育ったこの町に愛着を感じていた。
この町で、この店で、父と髪結いを続けて行きたいのだ。

「だから僕は、ここを守るために、立派な忍者になりたい。
 ……追手や戦に巻き込まれたとき、ただの髪結いじゃ戦えないからね」

荒れた毛先に香油を染みこませると、花の芳香がふわりと香った。
安眠効果のある香りは、心身疲れていた少年にぴったりだと思ったのだ。
タカ丸の予想通り、少年の頭が重たげに浮き沈みを繰り返し、今にも落ちそうだった。

「君にも守りたいものが、あるんじゃないかな」

返事は期待していなかったが、眠そうな眼をこすりながら少年はぼそぼそと小さな声を出した。

「え?」
「ごめんなさい、寝てもいいですか」
「ああ、どうぞ。奥に布団敷くね」

座布団を枕にして今にも眠りそうな少年を置いて、タカ丸は奥に引っ込んだ。
きっと無意識だったのだろう。
くすぐったい笑いを噛み殺しながら、予備の布団を押入れから運び出す。
少年の声はとても聞き取りづらかったけれど、その言葉はしっかり届いていたのだ。


(ともだち、かぁ)

頑なで気難しい子だが、素直なところもあるもんだ。
素直の集まりである一年は組の子どもたちと思い比べながら、タカ丸はまたくすくすと笑った。






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