の朝は早い。
というのも瓜子の忍者隊における雑用はほとんどと道孝の役目だった為、
誰よりも朝早くに起きなければならなかったからだ。
隣で無防備に眠るタカ丸を起こさぬように布団を抜けだし、
は店先の木戸をそっと開けた。
外は夜明けの薄日が差し込み始めた頃で、朝を告げる鶏さえもまだ眠っているような静けさだった。

(高そうなお店だなあ)

人気のない店内をぐるりと見回して、は鏡台の前に腰かけた。
タカ丸が手当てしてくれた頬は多少の赤みと腫れが残っているものの、
痛みもすっかり消えているので綺麗に治りそうだった。

怪我の具合をひとしきり確認すると、は自分の髪におそるおそる指を通した。
手当の後、何やら丹念に髪を触っていたなとは気付いていたが、
眠っている間にの髪は見違えるほどサラサラになっていた。
ボサボサで癖毛で、酷くさわり心地の悪いそれは、心なしか艶さえ出ている。

(傷の手当てしてくれて、泊めてくれて、髪の手入れまでしてくれて)

は城の外から一度も出た事のない育ちだが、
外でどこかに泊まる時は銭が必要だということぐらいは知っている。
この至れり尽くせりの親切に、何か裏があるのではないかと恐くなるぐらいだ。


、タダより高くつくものはないんだからな』


ふと、忠之進の言葉が思い浮かんだ。
学園に行くまでの道中、茶屋を通り過ぎた時の話だ。
お団子一本タダ、と張り紙がしてあったので目をつられたに、
忠之進は心なしか厳しい表情で嗜めた。

『そういえばお前は城から出た事がなかったな。いいか、ああいうタダの店には入ってはいけない』
『何で、タダなんでしょ?』
『お団子がタダでも、お茶だったりサービスだったり席代が高くつくんだ』

ころりと表情を変えて、忠之進はくすくすと笑った。
手をひかれながら不思議そうに見上げるに、彼は面白い内緒話をするように声を潜めた。

『この前、藤堂さんがな。タダに騙されて茶屋でぼったくられたんだ』

忠之進のことを一等嫌っていて、嫌なことがあるとにあたる忍者だ。
大男で、乱暴で、無精者で。誰に対しても物腰穏やかな態度を崩さない忠之進も、
藤堂のことは露骨に嫌っていた。
もざまーみろと内心思っていなくもないのだが、それよりも驚きが大きい。

『お団子で騙されたの!?』
『………いや、ええと、そうだな。宿屋みたいなものだ。部屋代タダ、でな』
『何がタダじゃなかったの?』

更に詳細を尋ねると、忠之進は急に言葉を詰まらせた。
しばらく視線を虚空に泳がせて苦し紛れに呟いた言葉は。

『添い寝料、かな』
『藤堂さん、あんなに大きいのに添い寝なんてしてもらってるの!?』
『んん……そうだなー。だってもうしないもんなぁ』


「添い寝……………」

は髪の毛に指を通したまま、低く呻いた。
あの時は藤堂を散々馬鹿にして笑っていたが、
今の自分だって、タカ丸に添い寝してもらったじゃないか。

(ぼったくられる!?)

もう少し勘が良ければ何かが違うとわかったのだろうが。
お世辞にも柔軟とも優秀ともいえぬの頭には、
添い寝=ぼったくり、という間違った図式が刻み込まれていた。

はそろりと奥の部屋を覗く。
まだタカ丸は眠っているようで、耳を澄ませば規則正しい寝息が聞こえてくる。
ごくりと唾を飲み込んだ。逃げるなら、今しかない。

隅に揃えられていた自分の履物に指を通し、
足音を極力抑えてじっと入口に向かう。
木戸に指を掛け、あと少しというところで、いきなり戸が開いた。

「おや、もう起きていたんですね」

タカ丸の父親だった。
彼はするりと中に入って、水のたっぷり入った桶を床に置いた。

「傷も良くなりましたね。よかったよかった」
「あ、あ」
「髪も……」

伸ばされた父親の手を反射的にかわし、は彼の横を素早くすり抜けた。

「ごめんなさい!! 僕、お金持ってないんです!!!」
「ん。ええっ?」

背中に呼びとめる声がぶつけられるが、
はわき目もふらず逃げ出したので何と言っているかはわからなかった。








早朝の静かな町を駆け抜けて、髪結いの店からも十分遠のいたところではゆっくりと立ち止まった。大きな二本松に挟まれた町の入り口。
はここから入って来た。だからここから出ようと思ったのは当然の思考だ。

問題は。
ここから出ても忍術学園へ帰る道を、が知らないということだ。

学園から出た時は瓜子の忍者(ちなみにそいつこそが添い寝の藤堂だ)が
追手を撒くために藪やら川やらの悪路を使ったため、辿ることは不可能である。
何より、は物ごころついてから殆ど外の世界を知らずに育った。
土地勘なんてあるはずもない。

松の根元に寄りかかり、頭をこつりと幹にぶつけた。
忍者を目指しているタカ丸さんなら、もしかしたら学園の所在を知っているかもしれないが、
ぼったくりから逃げてきた手前みすみす戻ることもできやしない。

「はあ…………」
「君、こんな時間にそんな場所で何をしてるんだ」
「……………………」
「無視するなー!!」

顔を上げると、そこには忘れもしない。
山田利吉が立っていた。

「君はあれだろう。忍術学園の転入生じゃないか。保健室で会ったの、覚えてないのか?」
「覚えてます。山田先生の息子さんの利吉さんですよね」
「ああ。君は君だろう。一年は組の」

何故、自分の名前を知っているのだろうか。山田先生に教えてもらったのか?
山田利吉のこちらを見る目は、相変わらず冷たさが含まれていて好きにはなれなかったが、
鉢屋にいじめられたり、ぼったくりに合いかけたの精神は前よりもずっとタフになっていた。

「それで、君はどうしてこんなところにいるんだ」
「迷ったんです。学園に帰れなくなりました」
「はあ?」

はじいっと利吉を見上げる。
その訴えかけるような視線の意図を明確に察したプロ忍者利吉は、肩を落として脱力した。

「いいよ。私も丁度学園に行くところだったから。ついておいで」
「わあ、流石利吉さん。優しい」
「思ってもいないだろう」

立ちあがって荷物を肩に下げたは、ふと思い出して確認をとった。

「利吉さん。まさか方向音痴ということは、ないですよね?」
「君は意外に失礼だな!!!!」

近所迷惑なぐらい大きな声で怒鳴られた。
だが怒鳴り方が山田先生にそっくりで、はちょっと笑った。
利吉に笑っているのがバレて、また怒られた。




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