雲が頭上を忙しなく流れていく、風の強い日だった。
こんな天気の日は、夕暮れには大雨になったり雷が落ちたりと大層荒れる予兆なので
利吉は無意識に肩で背負っていた風呂敷を抱えなおした。

(どうしたものかな)

中身は母から預かった父の洗いたての着物がぎっしりと詰まっていた。
ただでさえ忍びの仕事が忙しいというのに、母は相も変わらずお使いに自分を呼び付ける。
睦まじいのは結構なことだが息子を挟まないでほしいと。利吉はそっと息を吐いた。

「持ちましょうか」

利吉の渋い顔を見たが、気をきかせて声を掛けた。
だが何か月分の衣類が詰まった風呂敷は意外に重い。
首を横に振ると、鼻の横を汗が一筋流れた。

「持てないだろう」
「そこまでひ弱じゃありません」

すねたような口調で返される。
ひ弱だよ。と利吉は心の中で繰り返して汗を袖で拭った。
医務室で顔を合わせた時の、骨まで浮き出るような貧弱な線の細さは消えたが
山道を歩くの足はまだ棒っきれのように細かった。

(どうしたものかな)

これでは、下手に手を出すだけでぽっきりと折れてしまいそうじゃないか。

利吉は父の洗濯物なんかより、の身体を極力傷つけずに尋問する術をずっと考えていたが
良い答えは出なかった。あまりにも少年は細く、弱そうだった。

「雨も降るしなあ」
「どうしたんですか」

君が歩けなくなると困るという話だよ、と答えると、
は「歩けますよ」と地面を踏みつけるように力強く早足を始めた。

「……君は察しが悪いようだから直接的に聞くけど、」

利吉はやたらと考えることを放棄した。
どうせここには誰もいない。
太陽も厚い雲に遮られた薄暗い山道で立ち止まった。

「ずばり、どこの城の忍者なんだ?」
「なんのことですか」

も、背を向けたまま歩みを止めた。
そういうことを尋ねられると、予期していたような静かで落ち着いた声音だった。
利吉は気軽な雰囲気を装って夏葉に近づく。

「初めからわかっているんだ、隠さなくてもいいだろ」
「意味がわかりません」

はったりではない。
彼がどこぞの城の忍者であることは忍術学園教師全体の、共通認識だ。
だが父も土井先生も、に関しては妙に手を持て余しているように利吉は感じていた。

それがもどかしく、いつか二人きりになれる機会があれば自分が話を聞いて
このもやもやを片付けてやろうと思っていた矢先に今の状況に至る。
予想外の巡り合わせではあったが。

「君は自分がしていることの意味を、それがもたらす結果を、きちんと理解していないだろう」
「何のことかわかりません」

先程からわかりませんとしか言わなかったが、苛立たしげに振り向いた。
どれだけすっとぼけようが利吉は構わなかった。
わざと、大袈裟に、の不安を煽る言葉を選び投げ掛ける。

「もしも君が情報を流し続けた結果、学園が襲われれば……人死にが出るぞ」

優秀な先生方が揃っているので最悪の事態は避けられるかもしれないが、
情報を流すということは、それほど致命的な行いなのだ。

「君の友人や先輩だけは助けてもらえるなんて、都合のいいことは考えてないだろう?」

目の前の小さな少年の弱味を、利吉は知っていた。
何度かの学園訪問の度に。が同級生と楽しげに笑う姿を見ていれば嫌でもわかる。

だから容赦なく突きつけてやろうと思った。
潜入先で親しい友人を作る愚かさを、心の弱さを、己の浅はかさを。

「……利吉さんは、敵が子どもでも、容赦はしませんか」
「普通の忍者は、しないものだよ」

泣くか怒るか、それとも叫ぶか逃げ出すか。案外ころりと謝って寝返るかもしれない。
利吉は冷徹な視線でを射抜いた。
けれど、少年は顔を上げようとはしなかった。
ただ、押し殺したような声が耳に届く。

「それなら利吉さんも」

雨がほたりと顔に落ちた。
夏の日には似合わぬ冷たい雨が、間を置かずに強く降り始める。

「敵が子どもでも、無残に殺すのでしょうね」

だが、呪詛のように目一杯の負の感情が込められたの声は、豪雨にかき消されることはなかった。







学園までの峠は越えた頃、雨足は更に烈しくなっていた。
無理をして行けなくもない距離ではあるが、大荷物を背負っていた利吉は疲れていたし、は子どもである。

大事を取って途中に見つけた荒れ小屋で休憩を取ることにしたが、
利吉が腰を下ろした反対側に、は背を向けるようにしてわざと座った。
あからさまに、避けている。

「寒くないのか」

利吉の問いかけにも、は答えない。
雨が降ってからすっかりこの調子になってしまった。
自分は元々子ども嫌いだから、別に、いいけれど。と自分を納得させるように利吉は荷物を置いた。

腰を下ろすと足の神経がじんと柔らかな熱を持つ。
予想外に疲れを溜めていたようだ。
普段は絶対にしないけれど、大人一人の身体をすっぽり覆える風呂敷包に利吉は寄りかかって横になった。
布団よりもふかふかした感触で心地よかった。

「一刻は雨が治まるのを待とう。それ以上待つと日暮れまでに辿り着くか怪しくなるからね」

が無視するので天井に話しかける。
屋根のある小屋の中は、雨音がいっそう大きく響いて、
誰かが拳でダンダンと屋根を叩きつけているかのようだった。

もしも本当に屋根の上に誰かいるとしたら、相当に荒々しい奴だろうな、なんて下らぬことを考えながら
利吉は目を閉じて耳だけを澄ませる。
荒々しい奴にお似合いの、横柄な笑い声が雨音に混じっていた気がした。

(……気がした、ではすまないぞ)

睡魔の優しい誘いを振り切り、ひょいと弾みをつけて立ち上がる。
利吉はさっと木戸の前に立ち、耳を当てた。

「人が来る。奥の竈の裏に隠れろ」

の肩がびくりと揺れた。
しかし、流石忍たま。慌てることなく速やかかつ静かに彼は指示通りの場所へ動いた。
利吉も木戸につっかえ棒を置き、風呂敷を竈の中に無理やり押し込んで隠した。

「あれっ、空いてないっすよ」

誰かが木戸をがたがたと押しあけようとする。
利吉も、竈の前に置かれていた山積みの廃材に身を潜める。
と目があったので己の口元に人差し指を立てた。
彼は神妙に頷き、少し身じろぎして楽な姿勢をとった後はぴくりとも動かなくなった。

「こんな荒れた小屋に今さら住む奴がいるか! ええい、さっさと開けろ!」
「わかりましたよー。唾を飛ばさないでください」

ガタン、ガタンと強く戸を押す音が数回続いた。
最後は蹴飛ばすような大きな音が聞こえ、木戸はこじ開けられた。

「棒が噛み合ってたんですね」
「ふん。手間取りおって」

くぐもるような、独特の低い声の男が横柄な態度で座る。
隠れた二人にはその背中しか覗き見えなかったが、
利吉はすぐにそれが誰だかわかった。それだけ、わかりやすいシルエットだった。


「いやあ、いきなり降りだしてきましたね、八方斎様」
「お前のせいだな、雨鬼!」

ぽかりと付き添いの忍者が殴られる。
雨鬼はいててと頭を抑えながらぼやいた

「……雨の度に俺のせいにするんだから」
「何か言ったか?」
「いえ、何でもありません!」

利吉は無意識に懐のクナイを握っていた手を、離した。
何でこんなところにドクタケ忍者が、という疑問よりも、
あいつらは誰が見ていなくても漫才をやっているのかという呆れが大きかった。

「雨はついていませんでしたが、その前は良かったじゃないですか。いよいよ準備が整いましたね」
「くくく、これで瓜子の連中に目にもの見せてくれるわ。わっはっはっは、うぉっと!」

笑いすぎて八方斎が後ろに倒れた。
慣れたもので、両脇の風鬼と雨鬼が床に付く寸前に背中を支えた。
八方斎が無言で親指を突き出す。
二人の忍者も照れくさそうに頭を掻きながら、もう片方の手で親指を突き出した。
……支えを失った八方斎は、再び床に頭から倒れた。

「こおおおぉるぁあああ!!」
「わっ、すみません八方斎様」

利吉は音にならない程度に息を吐き、腹を抱えて笑った。
これで本人たちがいたって真面目なものだから、余計に面白くてしょうがない。


(それにしても、瓜子城か)


随分と面倒くさい城と戦をするのだな。
利吉はドクタケの戦好きの程にもほとほと呆れたが、同時に納得もした。
最近学園付近の町にドクタケ忍者がうろついていたのは、瓜子との戦に備えていたのだ。

もしも本当に戦が始まるとすれば、ドクタケと瓜子のほぼ中間にある忍術学園の近隣で、合戦になるだろう。

利吉は再び気を引き締めて彼らの話を盗み聞きしていたが、
その後の八方斎たちは殿の張り子の馬がどうだとか新しい忍者隊の制服を作ろうだとか、
くだらぬ話しかしなかった。八方斎はその間、三回倒れて起こされていた。
話題が一回りして、再びドクタケ城の殿の話に戻る。

「そういえば、八方斎様は殿からお馬さんの修繕を頼まれていませんでしたか?」
「あっ、忘れてた!! 風鬼、雨鬼すぐ帰るぞ!」
「「えー」」

木戸が慌ただしく閉じられ、再び雨音だけが響く薄暗い小屋に戻った。
ずっと黙っていたが何か呟いた。

「……あれは忍者じゃない、あれは忍者じゃない……」
「気持ちはよくわかるが、あれで戦好きの悪名高い、ドクタケ城の忍者なんだよ」

ちなみに倒れた頭のでかいのが、忍者隊首領だと教えると、は必死に首を振った。
真面目に忍者を目指しているのが馬鹿らしくなるだろう。
自分にもそういう時期があったので、利吉は微笑ましく様子を見守る。

「あ、でも」

ふと何を思ったかぴたりと動くのを止めて真っすぐにこちらを見上げた。
どうやらこちらを無視するのはやめたらしい。ドクタケの衝撃が幼い少年に与えた影響は、計り知れないものだ。

「……ドクタケ城はあんなのでも悪い城なんですよね。
 じゃあ、瓜子城ってお城はいい城なんですか?」

ドクタケがアレなものだから、瓜子もアレなのかと思っているのかもしれない。
幼い少年の質問に、利吉の笑みが苦々しいものに変わる。
瓜子が良き城たるところを、全く想像できなかったからだ。

「瓜子城はドクタケよりも、ずっと悪い城だよ」
「そんなに酷い城なんですか」
「ああ、最悪だ」

瓜子は金鉱で栄えた城。金が採れなければ衰退するのは自明の理であるのに、
彼らが繁栄を維持するために力を入れたのは農耕ではなく戦を仕掛けることだった。
だが、利吉が瓜子を最悪と謗るのは何も城主が愚鈍だったからではない。

どれほどの名君のいる平和的な良い城にも暗部はあるけれど、
あそこは格別に酷い。とてもじゃないが子供に聞かせられる話ではない。
利吉の沈黙の意味を察したのか、は『最悪』の内容を聞き返さなかった。
ただ最悪という言葉にぱちりぱちりと瞬きを繰り返して、


「そんなにひどい城なんですね」


静かに目を伏せただけであった。




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