夜が更けても騒がしさが絶えぬ忍たま長屋も、試験前日ともなればしんと静まりかえる。
一年は組の勉強会を終えた庄左ヱ門と伊助も自室に戻ると卓を寄せあい、
手燭の細い灯の下で最後の追い込み勉強に精を出していた。

同室のの姿はそこには無い。
昼夜関係なく時折どこかにふらりといなくなるではあるが、
こんな遅い時間まで部屋に帰ってこないことはなかった。
だが、二人はどちらもの名前を口には出さない。
同室の友人が部屋に戻らぬ理由を、彼らは何となく察していた。

伊助はもう読む気にもなれない教科書に目を落としたまま、今日の諍いを思い出す。

(何で、あんなことを言ったんだろう)

は大人しい性格である。
は組の賑やかさが苦手だったかもしれない。もしかしたら迷惑にさえ感じていたかもしれない。
それでも、今までは誘えば遊んでくれたし、楽しければ一緒に笑ったりもしていた。

急に一年は組を「嫌い」になるものなのだろうか。何か、彼の不愉快になることをしてしまったのだろうか。
隣で黙々と教科書を読みふける友人を、伊助はこっそり観察した。
……この件に関しては庄左ヱ門もおかしい。

と団蔵の会話が不穏な空気に変わった時。
がは組の面々に悪態をついた時。
彼がいなくなっては組がその態度に憤った時。
学級委員長の庄左ヱ門は一言も、言葉を発さなかった。
それは、責任感の強い普段の庄左ヱ門からすれば、ありえないほど静かで大人しすぎる態度だ。

何かがおかしい。

伊助はとうとう勉強に集中できなくなって教科書を閉じた。
胸の内に残る嫌なわだかまりは、早いうちに消し去ってしまいたかった。
だから率直に、伊助は友人にその真意尋ねようとした。

しかし二人きりの静かな空間に新たな声が響いた。

「入るよ」
「え?」

静かに戸が開かれた。
濃い暗闇に同化する人影が、そろりと足音を消して部屋に入る。
ろうそくの仄明るい灯にくっきりと映された姿は、不破雷蔵だった。
背には、を背負っていた。

「勉強していたら眠ってしまってね」
「不破先輩と勉強していたんですか?」
「うん。ああ、でも、偶然だよ」

『不破先輩と』の部分に何か冷たさを感じた不破は、慌てて言い繕った。
伊助が隅に畳んで置いておいた布団を広げる。
静かに横たえられたは、些細な話声には全く起きる様子が無い爆睡ぶりだ。
人が心配していたのにいい気なもんだと、伊助は少々複雑な気持ちになったが、
最近のは夢見が悪いようでいつも魘されている。ぐっすり眠っている姿は久しく見ていなかった。
庄左ヱ門も教科書を閉じて、たちに顔を向けた。

「先輩。一つ聞いてよろしいですか」
「何だい。庄左ヱ門も勉強のことか?」

身を乗り出して忍たまの友を覗きこもうとする不破に、庄左ヱ門は静かに首を振った。

「いえ、のことです」
「ふうん……?」

伊助はぎくりと肩を強張らせた。
つい先ほど、庄左ヱ門にのことを尋ねようとしていたからだ。
二人は伊助の慌てる様子に気づくことは無い。
どこか緊張感のある面持ちで互いの顔を眺めていた。

「先輩方も先生方も、に対して何かを隠しておられませんか」
「すまないが、何の事だかさっぱりわからないよ。
 僕は最近くんとは仲良くなったばかりだし」

不破は申し訳なさそうに庄左ヱ門の問いが見当外れてあることを指摘した。
態度には出さなかったが、伊助も同じ気持ちだった。
が自分たちに何かを隠しているのは明白だが、先生方がに何かを隠しているようには見えなかった。
しかし庄左ヱ門は全く納得する様子は無い。
細い灯に照らされた顔が翳りを帯びるのを見てとり、不破が不思議そうに尋ね返した。

「庄左ヱ門。何か心配ごとでもあるのかい」
「……いえ」
「伊助はどうだ?」

不破から急に話を向けられて、伊助はきょとんと目を見開いた。
心配事がないわけがない。今日のことだけではなく、はどうにも危なっかしい。

「いいえ、喧嘩したりもしますけどは僕たちの仲間ですから……心配、ありません」

けれども伊助も庄左ヱ門と同じく、のことを打ち明けなかった。
相手が不破だったからだというわけではない。
ただ、これは一年は組の問題なのだ。上級生に頼る類のものではないし、
自力で解決しなければ、ずっと先までもやもやした気持ちを抱えてしまいそうだった。

不破は二人の態度に、おそらく隠しごとがあるのを気付いていながらも、頷きを返した。

「困ったことがあったら、いつでも相談しにきてね」
「「はい」」

一年生の二人が声を揃えるのを不破は穏やかな顔で聞きながらも、内心は複雑な気分だった。
彼らは決して上級生の先輩を頼ったりしないだろう。
自分はそうだった。自分たちもそうだった。
だから仕方ないのだ。わかっている、わかっているけれど、、

「君たちはまだ子どもなんだ。もっと周りを頼ってくれよ」

過去の道を同じようになぞる彼らに、手を貸したくて仕方なかった。






が目を覚ますと、見慣れた天井が視界に広がっていた。
委員会の準備室で勉強していたはずだが、今自分が寝ている部屋は長屋だった。

(不破先輩が運んでくれたのかな)

勉強を教えてもらったのに、途中で眠ってしまったのだ。
気恥ずかしいやら情けないやら思うところはあるが、
試験までもうわずかな時間も残っていない。
まだ横で眠っている伊助と庄左ヱ門を起こさぬように足音を消して部屋を出た。
夜明けの冷気に包まれて身震いする体を抱きしめる。
懐に入れっぱなしだった教科書の固い感触が腕に当たった。

「がんばろう」

遅くまで勉強を教えてくれた不破先輩に、胸を張って報告できるような点数を取りたい。
始業の鐘が鳴るまでまだ余裕はある。
最後の自主勉強をしようとはそろりそろりと静かな足取りで教室に向かった。






……例えば、ここでもうひと眠りして睡眠をしっかりとっていれば、
寝ぼけ眼で解答を全て一つずらしに書いて0点を取るようなことはなかったかもしれないのだが、
もちろん今のには知るよしもないことである。





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