試験が明けて数日経った頃、昼休みだというのに一人校庭を駆けずりまわる神崎左門にうっかり見つかったは、
世話話ついでに三年い組の伊賀崎孫兵にまつわる噂を小耳に挟んだ。
曰く、伊賀崎が深夜になるとどこかへふらりと出かけているというのだ。
同級の者がどこへ行くのだと尋ねても伊賀崎自身は「関係ないだろう」の一点張り。
元々不思議な奴だったが最近のあいつの行動はさっぱりわからないと、神崎は特に困っている様子もなくぼやいていた。

「自主訓練ではないのですか?」
「それなら俺を誘わないはずがない。ライバルで友人だからな」

はぎこちない愛想笑いだけ返した。
自分だったらライバルだろうと友人だろうと、極度の方向音痴の奴とは夜間訓練なんてしたくない。

「じゃあ俺は行くぞ。これから追試なんだ」
「神崎先輩も試験だめだったんですか?」
「いや、試験場所が変わってたらしく、試験自体が受けられなかったんだ」
「……今回は大丈夫なんですか」
「ああ。今回は三年ろ組の教室だからな、三之助とちゃーんと確認した」

ではさらばだ、と言い捨てて全力で走り出す神崎を見送ると、は呆れまじりのため息をはいた。
神崎の向かう方向は一年生の教室しかないのだ。
しかし呼び止めたりはしない。
長く関わってどこに連れて行かれるかわかったものではないと、学園で暮らすうちに自然と学習していた。



(可能性は低いが、行動しないよりは。マシだ)

その日の夜、同室の二人が寝静まる頃を見計らい、は早速長屋を抜け出した。
夜中にうろついてるらしい伊賀崎に接触するつもりだった。
音を立てずに戸を閉じると、は学園をぐるりと一周してみようと静かに歩きだす。
月明かりが十分に照らされた夜。足取りはしっかりしていた。

最初に通り過ぎたのは、長屋の傍の小池だった。
蛙がひっきりなしに鳴いているけれども、伊賀崎はいない。
毒蛇の餌探しならこれ以上の良い場所はないだろうと踏んでいたは、少々肩すかしをくらった。
は再び歩き出しながら思案に耽る。

そもそも、一体どのような理由で伊賀崎は夜に出かけているのだろうか。
生き物の世話なのか、夜間修行なのか、それとも単に夜の散歩が好きなのか。
伊賀崎の人となりをよく知らぬには想像もつかない。

ただ、もしかしたら。兄の道孝に関係があるかもしれない。
都合のいい考えだと自覚していても、はその可能性を捨てきれない。そうであって、ほしいのだ。

長屋を出て、校庭を通り抜け、正門まで足を伸ばすが、伊賀崎どころか生徒にも遭わなかった。
手裏剣修練場に向かえば誰かがいるのかもしれないけれど。
それなら伊賀崎が隠れて動く理由もない。おそらく、そちらにはいないだろう。


「ひいいいぃぃぃっ!!!」


静かな夜に、大きな悲鳴が劈いた。
その声に聞き覚えのあったは、考える間もなく声の元へ走り出した。

(厠の方向だった)

減速もせずに全力で夜道を走り抜けると、
寝巻きの白い布がぼんやりと視界に浮かんでいた。
近づき、その背恰好が、顔が、やはり自分のよく見知った人間のものだとわかり、夏葉は声を掛ける。

「しんべえ?」
「あ、あ、……!」

両手をわたわたと動かしながら、しんべえは必死の表情でに訴えかける。

「おに、鬼ぃぃいいっ!!」

鬼? しんべえは震える指での背後を指した。
そこで、は初めて気づく。
しんべえの背後の白壁に、大きな人型の影が映りこんでいることを。
その頭に、二本の角がにょきりと生えていることも。

背筋を走る悪寒に耐え、はおそるおそる振り返る。
土蔵の屋根の上から、月を背負うように立つ男。
見間違えようもなく、やはりその頭には角が生え、ぎらぎらと底光る鋭い眼差しがこちらを見下ろしている。

が言葉も出ずに鬼を見上げていると、背後でごつんと鈍い音が聞こえた。
ひたすら鬼、鬼と叫んでいたしんべえが静かになった。
混乱のあまり背後の壁に頭をぶつけて、倒れたのだ。

は気絶したしんべえをちらりと確認したが、注意を逸らしてはならないと鋭い目つきで佇む鬼を睨み返した。
鬼は人を襲うものだと。昔、瓜子城で忠之進が言っていたのを思い出す。
こちらは子ども二人。これ以上ない格好の獲物だ。
懐から取り出した手裏剣を構えた。
もしも襲ってくるのならば、自衛するしかない。

しかし、鬼はこちらにはやって来なかった。
屋根から高枝の木に飛び移り、何度も跳躍しながら遠くへ去っていく。
戻ってくる気配は無い。

(何だったんだ、あれ)

構えを解き、滝のように流れ出る冷や汗を袖で拭った。
あんなものが忍術学園にいるなんて、聞いてない。

「しんべえ、起きてよ。しんべえ!」

気絶したままのしんべえを揺り動かすが、起きる様子は無い。
こんなところで寝ていては風邪を引いてしまう。
は大きくため息をつき、しんべえを担ぎ上げようと彼の腕を取り、体を持ち上げようとした。

が、岩のように、ぴくりとも動かなかった。
平均よりもずっと小柄で細身のに、しんべえを持ち上げられるわけがない。

「………………………」

無い知恵を必死に振り絞った結果、はもう一度深く息を吐き出しそのまま一人で長屋に帰っていった。
忍たまなのだから、一晩の野宿ぐらい平気だろうとの判断だった。






翌朝、は朝飯を食べる頃にはすっかりしんべえの見た鬼の話は広まっていた。
最近は皆を避けるように時間帯を変えて独りで食事を食べていたの元にも、乱きりしんや伊助が詰め寄ってきた。
特に、一緒に鬼を目撃したしんべえは必死だった。

「ねえ、一緒に見たよね!? 鬼だったよね?」
「……………知らない。俺、昨日の夜は外に出てない」
「えー、見たでしょう。ねえ、鬼!」

半信半疑だった乱太郎たちは、の話を聞いて困ったように顔を見合わせていた。

「しんべえ寝ぼけてたんじゃないの」
「うんうん。で、そのまま外で眠りこけちゃった」
「ありえるなあ、しんべえなら」
「えー」

騒がしくなる周囲を無視して、は黙々とご飯を食べきる。

(……………いた。間違いなく、いた)

寝ぼけたしんべえが見た夢だったらどれほど良かっただろう。
しかし、正直なことは話さない。何故夜に長屋を抜けだしていたのか問われるのは面倒だったし、
ここでそうだったと頷いたところで所詮下級生二人、皆に信じてもらえるとは思えなかった。
は、早々に食器を片付けて、足早に食堂を出た。
赴いた先は、図書室だった。




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