朝の図書室はしんと静まりかえり誰もいないようだった。
不破の姿を少し期待していたは知らぬ内に肩を落としたが、
気持ちをきりかえて奥の書架に目を向けた。
鬼とはどういうものなのか、調べるつもりだった。

幾つかそれらしい巻物を手にとって開いてみる。
が、すぐに首を傾げては書棚に戻していく。
開いては閉じ、開いては閉じ、そのたびに難しげに顔を顰めた。

「字が……」

彼の手に取った書物は全て、漢字が混ざっていた。
中には平仮名の多い低学年向けの怪談本もあるにはあるのだが言い回しが難しく、
一年生の忍たまの友でさえやっと支えなく読めるようになったばかりのに読める本ではなかった。

「何を探している」
「ひっ!」

音の無い図書室で囁くような声が発せられ、は思わず息を飲んだ。
書棚の向こう側にいる男と目が合った。
慌てて棚の向こう側に駆け寄ると、濃緑の制服を身にまとった忍たまが立っている。
上背がある厳めしい顔の大男は、一度会えば忘れられない。

「中在家先輩でしたよね。いつの間に、いらっしゃったんですか」
「ずっといた」

ぼそぼそと呟かれる小声は聞き取りずらいが、誰もいない静かな図書室ではまだ聞き取りやすく感じた。
しかしそんな部屋で、が来てから一切この青年は物音を立てなかったのだ。
忍者ってやっぱり怖い。なんて忍たまらしからぬことを考えながら、は目を逸らした。中在家は顔も怖い。

「何を探している」
「え、あ、その……鬼について、調べようとしたんです」
「鬼? それなら」

今持っていた本に書いてあっただろう、と言いかけて中在家は口を噤んだ。
一年は組の図書委員であるきり丸が、編入生の『ちょっとした逸話』を話しているのを、聞いたことがあった。

「私の知っている話でよければ、教えよう」
「………えっ? いいんですか?」

強面の大男であるため誤解も多いが、中在家は子ども好きなたちなのだ。
きり丸の付き合いで子どもたちに読み聞かせの子守りをしてやったこともある。
中在家は傍の机に座り、は正面に座った。
鬼の話は、中在家の故郷で流行った民話の一つであった。



「堺のある村で鬼子が生まれた。
 その子どもは生まれた時から髪も歯も生え揃い、自分で立って歩くこともできたが
 目つきは鋭く、大人を凌ぐ凄まじい腕力もあって両親は我が子を忌んでいた。
 そうして親の手に余った息子は、ある日隣村の髪結い処の前に捨て去ってしまったのだ」


そこまで語り終えて、中在家はちらとの顔を眺めた。
少年は口を真一文字に引き結び、緊張した面持ちで続きの話を待っていた。
特に、声が聞きとれないだとかの文句が無いようなので、中在家はいつもの調子で続けた。


「髪結いの夫婦には子どもがなく、拾われた少年はそのまま髪結いの子どもになった。
 夫婦も、子どもの人並み外れた腕力や山の天気のようにころころと変わる気性の荒さには辟易したが、
 仕事を教え込むことで幾らか息子は落ち着きを見せるようになっていった」

「しかし。ある日のことだった」

「息子は客の髭を剃っている時、うっかり顔を傷つけてしまった。
 慌てた息子は血を素手で拭い、血で汚れた指を舐めとって誤魔化した。
 そしてそれ以来、彼は毎回のように客の顔を傷つける失敗が増えるようになった。
 流石におかしいと気付いた髪結いの主人が息子を問いただすと、彼は悪びれもなくこう答えたそうだ」

「……血の味がクセになってしまったのだ、と」

「主人はその言葉にも驚いたが、それ以上に、我が子の変容に驚いた。
 目の前の息子の形相は鬼そのもので、牙は鋭く頭には角が生えていたのだ。
 髪結い夫婦はすぐさま家を飛び出して近所の者たちに助けを求めたが、
 大勢を引き連れて戻ると鬼はいなくなっていた。以後、その鬼が戻ってくることもなかったそうだ」
 

殊更に恐ろしさを強調することも無く、中在家の怪談噺は淡々と終わった。
は深刻な顔で俯いていたが、覚悟を決めたように上を向いた。

「ありがとうございます。とても、参考になりました」
「そうか」

深々と頭を下げると、は静かに立ち上がった。
彼の足に迷いは無かった。
その急激な変化に、中在家は不安になった。「待て」と声を掛ける。
けれどは振り向かずに図書室を出た。その後は、駆け足でどこかへ立ち去ってしまった。

(何か、大きな勘違いをしているような……気がする)

中在家の予想は的中していた。
は、煙硝蔵に向かっていた。髪結いの息子である、斉藤タカ丸に会うために。



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