火薬倉庫に向かうタカ丸は、土井の後に続きながらも、ばれないようにこっそりため息を吐いた。
学期試験で一科目を落とした分の補習を早朝から受け、やっと終わったばかりなのに。
教室から出たところで、偶然。うっかり。土井に捕まってしまった。

「悪いなタカ丸。仕事を手伝ってもらって」
「いいえー。大丈夫ですよ。僕も火薬委員ですから」

急に火薬の在庫を確認しなければならなくなったと言われて
「はいそうですかさようなら」と断れるほどタカ丸は空気の読めぬ男ではない。
ただ、朝食を食いっぱぐれた腹だけは正直なもので、先程から不満の音を上げ続けている。
タカ丸は腹をさすった。早く終わらせておばちゃんのおいしい昼ご飯を食べたいものだ。

「そう手間は取らせないから安心しろ」
「……はぁい」

煙硝蔵に続く最後の角を曲がったところで、タカ丸たちは立ち止まった。
目の前には小さな少年が立ちはだかっていた。

「タカ丸さん、お話があります!」

悲壮な面構えのが、立ちはだかっていた。
不思議がる土井の傍らで、タカ丸は顔を手で覆い天を仰いだ。

(また、何か面白い誤解をしている顔だ……)

何がどうしてそんな悲壮な覚悟を決めてしまったのかはわからぬが、
その顔を自分がさせてしまっているというのは嫌というほど理解できてしまう。
本当に、この子とは相性が悪いらしい。




土井の微妙な気遣いのおかげで煙硝蔵の傍の木の下に二人きりで座ると、
は顔を強張らせたまま、尋ねた。

「お腹、すいていますか」
「え? うん、今日はご飯を食べてないから」
「なら、どうぞ」

握り飯を差しだされる。
笹の包を広げてまじまじと観察するが、特に妙なところは無い。
一口いただくと、程良い塩味が口に広がった。
おいしいし、ありがたい。
……ありがたいとは思うけれど、タカ丸にはその意図がわからない。

「満腹になりますか」
「うん。これだけあれば、十分だよ」
「それなら、もう人を襲うのはやめてください」
「うん、ん? んぐん?」

不穏な言葉を聞いて、タカ丸は危うく米を喉につまらせるところだった。
は、膝を抱え、小さな声で呟いた。

「手当てしてもらったり、野宿になるところを一晩泊めてもらったり、
 おれ、タカ丸さんにいっぱいお世話になりました。だから、もうこんなこと、してほしくないんです」
「ごめん、何のことかな」
「人を食べるんでしょう」
「食べないよ!」
「え、ああ、襲うんでしたっけ?」
「襲っ……わないよ!!」

今は、と小さく付け足した。嘘をつき慣れないタカ丸の、正直癖が悪く出た。
隣に座るには、その呟きもきっちり聞こえてしまった。
見る見るうちに少年の目に冷たさが宿る。

「襲っていたんですね」
「だ、誰がそんなこと教えたの?」
「中在家先輩です。生き血を啜っていた、と」
「啜りません!!!!」

声を張り過ぎて、大幅に体力と精神力を摩耗したタカ丸は、
自分のやってきた過ちを、包み隠さず打ち明けた。
それ以外に、やましいところは無いとの目を見てしっかり言い説くと、
彼も困惑したように首を傾げた。

「鬼ではないのですか」
「鬼じゃないよ」

タカ丸は頭巾を取って、つむじを見せた。
はおそるおそる、太陽を反射する金色の髪にふれるが、
どこを探っても、角の一つも出てこない。

「ね?」
「はい」

ごめんなさい、とは素直に頭を下げた。

(根は、素直な子なんだよなぁ)

この子に関わると大変なことも多いけれど、胸が温かくなること多い。
タカ丸は顔を綻ばせた。もしも弟がいたらこんな感じなのだろう。

は鬼を探しているの?」
「え、あ、いえ」

顔を真っ赤にして俯いたは、どこにでもいる子どもの顔だった。
タカ丸がぐりぐりと頭を撫でながら「行っておいでと」背中を押した。
今日はついていないことばかりだが、昼前なのにすごく疲れた気がするが、
委員会の仕事ぐらいはどうとでもなる。

「委員会の仕事、手伝いますよ」
「いいよいいよ。先生と二人でできるから」

手を振って送り出すと、タカ丸は煙硝蔵の作業に戻るために立ち上がろうとした。
が、できなかった。いつからいたのか。彼の横で、当たり前のように顧問の土井が座っている。

「土井先生、委員会の仕事をやっていたんじゃないんですか」

驚くタカ丸の疑問に、土井は困ったような笑みだけを返した。

「手当に、野宿の件。詳しく聞かせてくれないか」
「いいですよ。食べながらで、良ければ」

表情は柔和であったが、いつもよりも声音は固かった。
おばちゃんのご飯にありつけるのは、大分遅くになりそうだと察したタカ丸は、
の差し入れをぱくりと口に入れた。







(また、手がかりがなくなってしまった)

タカ丸に押し出され、忍術学園の校庭まで戻ってきたはため息をついた。
他の組の一年生たちが玉蹴りをしているのをぼんやりと眺め、
どこに行こうか悩みあぐねる。

「気にしすぎているのかな」

外を駆け回り遊びに興じる忍たまたちに、鬼を恐れるような様子は全くない。
ここでの生活は厳しさもあるけれど、楽しいことの方が多い。
命の危機を感じるような、恐ろしいこともない。

先輩のタカ丸や中在家だって、が鬼を探していることを止めはしなかった。
学園内の安全を、信用しているようだった。



それでも、兄は死んだのに。



「どうしたんだ、。暗い顔だね」
「不破先輩」

脇の学舎の窓から、不破が手を振っていた。
近づくと、不破は今日も暑いねと手で風を送る。

「先輩は、何をされていたんですか?」
「朝から図書当番でね。は何をしていたんだい」
「その。ちょっと調べものを」
「鬼のことだろう。一年生から聞いたよ。いるわけにのにね」

不破が迷い無く否定の言葉を呟いたのが、意外だった。
そういった迷信は信じないたちなのだろうか。
はそうですか、と相づちを打つに留めた。

「大体、僕たちは忍者の卵なんだから。鬼が出たら戦うことも逃げることだってできるだろう」
「確かに、そうですよね」
「……まあ、忍たまに化けて紛れているのなら、不意打ちもあるかもしれないが」

気をつけるに越したことはないだろう、と不破は話を打ち切った。
再び今日は暑いという話に戻る。

は暑くないのか?」
「まだ平気です」
「ううん、そうか。当番でご飯を食べてないからかなあ」

いや本当に暑い暑い。
不破はとうとう頭巾を解いて、首筋の汗を拭った。

「そんなに暑いですか?」
「頭から汗が出ているぐらいだよ。ほら」

不破はむき出しになった頭頂を見せた。
それほど汗をかいているようには見えなかったが、
その頭に何とも奇妙な異物をは見つけた。

角だ。
耳の真上あたりに、ひょこりと二つ。
親指ほどの小さな角が生えている。

「ああ、そうだ。長屋の裏に、水の冷えた井戸があるんだ。一緒に行かないか」
「い、きません」
「そう言わずに。さあ!」

窓から伸ばされた手をかわし、は走り出した。
けらけらと笑う声が、耳に届く。

(不破先輩が、鬼だったんだ。お、おお、俺を食べる気だ!)

長屋の裏は人気のない場所だ。井戸があるなんて話も、聞いたことがない。
朝から当番をやらされていると言っていた。先のタカ丸と同じように腹を空かせているのだ!

「図書当番?」

はゆっくりと駆ける速度を落とし、止まった。
今日、朝食を食べた後すぐに図書室に行ったのに。
不破はいなかったじゃないか。


不破は嘘を言っている。
けれど、不破が自分に嘘をつく理由がない。
そもそも、あの角だって自分が見たものよりも小さい。あれは、昨日の鬼ではない。
………鬼では、ない? 不破でも、ない?


は思い詰めた顔を上げ、目を見開くと、すぐさま踵を返して逆走する。
自分の顔は、怒りで真っ赤に熱を帯びていた。


「鉢屋ぁぁぁあああああ!!!!」


奴が先ほどまでいた窓にかじりつくが、中には誰もいなかった。
ただ、奥の廊下から先ほどとは比にならぬほどの大爆笑だけが響いていた。



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