鬼の件があってから、親しげに話しかけようとしていたのは感じていた。
けれど、だからと言って、これは馴れ馴れしいにもほどがなかろうか。


「そんな浮かない顔するなよー夏葉」
「…………したくもなるさっ」


幅が広くとられた歩きやすい山道を、きり丸と夏葉は並んで歩いていた。
夏葉は両脇に鬱蒼と広がる広葉樹に目もくれず前へ進む。
きり丸は風呂敷を担えて、やや遅れ気味にその後をついて行く。

翠陰の下できり丸はにこにこと嬉しそうに笑っていた。
その目は、銭の形になっていた。




二人で忍術学園を出た経緯は大したことのない。
地図を作るために学園を散策していた夏葉ときり丸が偶然すれ違ったのが切欠だった。

『ちょっとバイトに付き合ってくれよ、夏葉』

同じ組というだけで今まで接点の無かったきり丸に、いきなり手をつかまれて引っ張られた。
夏葉は何度も行かないと言ったのに、良い金儲けを閃いたらしいきり丸は全く話を聞かず
あれよあれよという間に山田先生から外出許可証を入手し、夏葉を学園の外へ連れ出した。
惚れ惚れとする手腕だった。

「悪かったって。お礼は弾むからさ」
「……うちはまだ追試前なのに、バイトしていて大丈夫なの」

夏葉自身、勉強なんてせずに学園探索に勤しんでいたわけだが。
自分のことを棚に上げて尋ねると、きり丸はぺろりと舌を出した。

「土井先生は今、ドクタケの合戦に手いっぱいらしくてさ。俺たちの追試をしてる暇がないんだって」
「ドクタケ……あの、異様に頭の大きな忍者隊首領のいる」
「そう、冷えたザーサイ!」

そんな名前だっただろうか。
夏葉は首をかしげたが、自分よりもずっと長くドクタケ城を知っているきり丸の言うことだ。間違いはあるまい。

「ほら夏葉、もうすぐ町に着くから着替えて」
「もう着替えてるよ」

いつもの井形模様の制服ではなく、普通の私服だ。
兄のおさがりではあるが、物持ちよく使っているのでみすぼらしくもない。
どこか変なところがあるのかきり丸に尋ねると、彼は背負っていた風呂敷を押し付けた。

「バイトする時はこっちのがいいんだよ」




(きり丸め、きり丸め、きり丸め!!)

町の辻で団子を売る少女がいた。
鈴なり声で道行く人々に団子を売り歩く姿は大変愛らしい。
けれどその表情は世の中の全てを憎んでいるかのように険しいものだった。
桃色の着物をはためかせ、夏葉はぎりりと歯を食いしばった。

「あらん、怖い顔しないで。私みたいにスマイル、スマイル」
「きり丸……」
「ここではきり子ちゃんって呼んでね!」
「きーりーまーるぅぅぅうう」

夏葉が恐ろしい顔で詰め寄ると、流石のきり丸も謝った。
気晴らしのつもりでよかれと思って、と彼は口を滑らせた。

「気晴らし?」
「あ、いや、なんでもない」
「きり丸」

夏葉は続きを促した。
しまったという顔を作ったきり丸であったが、
こちらが全く引く気のないことを察し、渋々と胸の内を打ち明けた。

「最近、は組の皆がピリピリしてただろ。夏葉も居心地悪そうだったし。
 たまには外でぱーっとできたらなあって、思ったんだよ。それで銭儲けもできたら一石二鳥だろ」

自分から語らせておいて、夏葉は急にばつが悪くなった。
一年は組の雰囲気を悪くしているのは全て自分のせいだ。
いつも明るく楽しげな教室だったのに、わざとぶち壊した。

「ごめん」
「何で夏葉が謝るんだよ。
 言っとくけど夏葉が入る前から俺たちだってしょっちゅう喧嘩してるぜ」

きり丸はそれ以上は組の話をしようとはしなかった。
こちらに気を使ったのかもしれない。
さあ仕事仕事と高い声で団子を売り歩き始めた友人の背を眺めながら、
夏葉は陰鬱な顔でため息をつく。

気遣ってくれたのは嬉しいが、それで女装のバイトを勧めるのはやっぱりおかしいと思ったのだ。





だがやってみればなるほど。
いざ仕事をすると、女装は有利だと夏葉も納得せざるをえなかった。

まず周囲の態度が違う。
他の団子売りの青年たちにおいしくないだの小さいだのと文句を言っている気難しい客たちも、
夏葉やきり丸のときは随分寛容に買ってくれる。
お釣りをうっかり間違えても「いいよ、とっておきなさい」とお駄賃にしたり、
過剰なちやほやぶりに夏葉は鳥肌が立ったぐらいだ。

何はともあれ、仕事は順調だった。
乗り気でなかった夏葉も、初めてのアルバイトを満喫していた。
だから忘れていた。夏葉も、アルバイトに慣れたきり丸もだ。
『女の売り子は絡まれやすい』ということを。


「おい、娘。団子を八本くれ」
「はい……どうぞ」

声をかけてきたのは背が低く小太りの武士だった。
身なりも垢だらけで薄汚く、髭は伸ばしっぱなし、眼だけが爛々と光っていて不気味な男だ。
どこかで見たことが顔ではあったが、あまり関わりたくない雰囲気があり、
夏葉は素直に串を八本、包み紙に載せて渡した。

「うむ」

男は両手に全ての団子を持ち、一口でぺろりと完食してしまった。
残った串だけを夏葉に押し付ける。

「馳走になったな。では」
「あの、お金をもらってないです!」
「さあて何を言っているんだか」

惚けたふりをする男の顔を見て、夏葉は思い出した。
こいつは前に忍術学園に押し掛けた花房牧之介だ。
きり丸に助けを求めようと周囲を見渡すが、遠くまで売り込みに行ってしまったようで姿が見えない。

「困ります、お金をちゃんと払ってください!」
「ええい五月蠅いぞ娘! 言いがかりをつけるな!」

肩を強く押しのけられてよろめいた。
この野郎、娘と思って強く出やがって。
夏葉を無視して逃げようとする花房の足をひょいとひっかけ、転ばせる。
手もつかずに顔面から地面に倒れた。相変わらず運動神経が鈍い。

「お金、払ってください!」
「死んでも払わんぞー、団子なんて知らないもんねーだ!!」

子供のように聞きわけなく手足をばたつかせる花房に跨り、襟をつかんだ。
てっとり早くこのまま絞めて落してやろうか。

「払え!」
「やだ!!」

お互いむきになって、これ以上の話し合いは不可能だった。
ざわざわと騒がしくなった周囲の目を無視し、夏葉は襟を締める力を込めようとした。
しかしその手を、別の誰かの手に抑え込まれる。

「こら、年頃の娘さんがはしたない。おやめなさい」

見知った細い指が夏葉の手を包む。
怖々と視線を横にずらすと、物売りの青年と目が合った。
騒ぎを聞いてわざわざ仲介に来たようだった。行動に似つかわしい、人のよさそうな顔をしている。

「乱暴なことをしちゃだめですよ」
「は、はい」

夏葉の腕をとり、青年は花房から引き離した。
やられるがままだった花房は、思わぬ味方の出現と勢いよく立ちあがった。

「そうだぞ!! 全く、客に襲い掛かるなんて最近の娘っ子は恐ろしいものだな!!」
「あなたも」

穏やかな目が花房に向けられる。

「代金を払わなければいけませんよ。僕はちゃんと見ていましたから」
「なっ、」
「君はお武家様に乱暴なことをしたのを謝って、お武家さまはこの娘にお金をきっちり払って下さいね」

態度は柔らかかったが、有無を言わせぬ強制力が言葉の端々に滲み出ていた。
興味津津に見ていた外野も「そうだそうだ」と青年を肯定する言葉があちこちから上がり、
花房もそれ以上しらを切るのが難しくなっていた。

「……申し訳ありませんでした、お侍様」
「………ちぇっ、悪いとわかればいい!!」

偉そうに、小銭を投げつけて花房は逃げて行った。
きっちり団子八本分の代金があることを確認して、夏葉は物売りを見上げた。
知らない顔だ。けれど、その手指はよく知っている。違える筈がない。

「ありがとう、忠之進。でも何でこんなところにいるの?」
「それはこちらの台詞だよ」

物売りに扮した瓜子忍者の遠藤忠之進は、しげしげと夏葉の格好を眺めていた。

「何で女装して団子売りなんてやっているんだ」
「………………………」

山よりも高く谷よりも深い事情があることを説明するには、夏葉はあまりに口下手であった。





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