物売りに変装した忠之進は、いつもよりも少し老けていた。
と並べば年若い親子にも見えるだろう。
彼はさり気なく周囲に視線を走らせ、にひそひそと尋ねた。

「学園の実習か」

同級生のバイトに付き合っているのだと答えると、
忠之進は「子ども付き合いも大変だな」と苦笑を滲ませた。

「折角だ、茶屋に寄ろう」

の手を引いて忠之進は辻の茶屋に入った。
知り合いなのか店の娘が案内する前から奥の席へと座り、
温かいお茶と和菓子を注文した。はそろりと隣の青年を見上げた。
忠之進がこれほど疲れを表に見せているのは初めて見た。

「……藤堂さんが道孝の見取り図を渡しに学園へ行っただろう。大丈夫だったか」
「え、うんっ」

唐突の質問に、は懐を抑えた。
兄が書いた未完成の見取り図は片時も離さないようにしているが、
幾つかの空白を埋めただけで完成はしていない。

「まだ、完成してないけど。進んでいるよ」
「そういうことを聞いたんじゃない。藤堂さんに、何か酷いことを言われたりしなかったか」

あの人は特に、俺たちを嫌っているからと忠之進はぼそぼそと呟いた。
彼の顔には更に色濃い疲れが浮かんでいた。何かあったようだ。

「大丈夫だよ。何もない」

忠之進の心配を少しでも減らしたくて、はほんの少し嘘をついた。

「……無理はしないでくれよ」
「うん」

茶菓子が運ばれてきた。
二人はそこで会話を切り、菓子に口をつける。

「そういえば。あの妙なお侍は知り合いだったのか?」
「学園で会ったんだ。剣術の先生にしつこく勝負を挑んでは負けているんだって」
「………ああ、確かに」

弱そうだった、と忠之進は最後まで言わなかったが
ありありと顔に書いてあっては笑いをこらえるのに必死だった。
学園に入ってから大変なことも多いけれど、面白おかしいこともたくさんあった。

「忠之進、忍術学園のことなんだけどね、」

一つとっておきの話をして忠之進を笑わせようと、
は土井先生の練り物話を話題にしようとした。

「ああ、夏が終わる前に片づける」
「………………え?」

忠之進は食べ終えた皿を娘に下げさせ、を見た。

「そう遠くないうちに、戦が仕掛けられる。
 それまでに忍術学園を攻め落とさないとこちらの戦況が悪くなるんだ」
「戦って、ドクタケと?」
「よく知っているな!」

情報収集もしっかり行っていたなと、忠之進はくしゃくしゃにの頭を撫でまわした。

「そのドクタケが、新型の大砲を入手すると噂が流れているんだ。
 恐らくそれが届き次第、奴らは瓜子と開戦する……見て御覧」

忠之進は自分の湯呑みをドクタケ、の湯呑みを瓜子に見立てた。
二つの湯呑みは大きく距離が離れている。
ドクタケが勢いよく進むのに対し、瓜子の歩みはゆっくりだった。

「何で、」
「瓜子はドクタケほど大きな城ではないんだ。遠征の戦は厳しい」

だから拠点が欲しいんだ。
忠之進は瓜子に見立てた湯呑みを、空の和菓子皿にそっと載せた。
二つの城の中間地点に、皿は配置されている。
その更に、忠之進は乱暴に瓜子の湯呑みを乗せた。

「この忍術学園を足がかりにしなければ、瓜子に勝ち目はないだろう」
「そんな、」

は、ぐっと言葉を飲み込んだ。

(そんな理由で、忍術学園を攻め落とすつもりだったのか?)

瓜子とドクタケの戦に、学園は全く関係がない。
ただ、地理的に近いというだけで狙われて攻撃されるというのは、あまりに理不尽じゃないか。

確かにあそこは忍者の学校で、火薬や武器やプロの忍者がいるけれども、
狙われる理由も巻き込まれる下地もあるけれど、それでも、


あの学園は、いい人たちばかりだ。


「あの、忠之進っ」

せめて、学園がどれほどいいところかだけでも忠之進に伝えようと、
が慌てて身を乗り出すのと、第三者が彼の肩に手をかけるのはほぼ同時だった。

「あらぁあん、あなた結構なイケメンじゃない。お隣相席いいかしら?
 こちらは妹さん? そっくりねえ、可愛いじゃない私の小さいころを思い出すわ〜!」

と、忠之進も、ぎょっとした顔でふいに現れた人間を見上げた。
背の高い女性だった。異常に腰やら手やらをしならせて、あまり見たことのない類の人だった。
しかし、よりも人生経験の豊かな忠之進は女性の正体に検討がついたらしく、
はっと意識を取り戻し、慌ててを背にかばった。

「? っ、何よう」
「申し訳ないが、私は稼ぎのない物売りでありますし、この子はお察しの通り可愛い妹でございます。
 御嬢さんは大変魅力的ですが、残念ながら今日はお誘いは受けられませんので、すみません」
「ちゅ……お兄ちゃん、この人、知り合いなの?」

が話を合わせて、兄に目の前の女性のことを尋ねると、
彼は声をひそめて耳打ちした。

「こちらのお姉さんは立ち君といって、春を売る人だ」
「もう夏だよ?」
「……色々あるんだ。とにかく、あれだ、藤堂さんから金ぼったくった人たちのことだ」

は忠之進の背中ごしにまじまじと『立ち君さん』とやらを除き見た。
つまり、この人こそが一緒に添い寝するとお金を取る人なのだ。
華やかな着物で上手く隠しているが、屈強な体格だ。
タカ丸さんたちとは違い、なるほど、あれは一度捕まったら逃げられなさそうだ。

しかし、女性は何が気に入らなかったのか両手の拳をわなわなと強く握りしめ、
力強くと忠之進の頭に振り下ろした。

「「いーーー………つううっっ!」」
「あんたら聞こえてんのよっ!!! 私ゃ春なんて売りはしませんよ、失礼ねえ!!」

痛みに関しては二人ともそれなりに慣れている自負があったのだが、
目の前の女性は随分と人を殴り慣れているような……的確かつ適度な拳骨をくらわせてきた。

「すみません、御嬢さん。あの、よかったら是非………こちらのお席に」
「全く、最初からそう言えばいいのよプンプン!!」
「いやいや、私もこんな綺麗な方が話しかけてきてくださるもんだからすっかり混乱してしまって。
 ええと、お名前は何ていうんですか? 私は忠介と申します」
「あらやあねえ、綺麗だなんて……私? うふふっ、伝子っていうのよ。よろしくね」

(伝子、さん?)

は一瞬、その名前に聞き覚えがあったような気がしたけれど、
いくら頭をひっくり返しても、心当たりに辿りつけなかったので諦めた。
ただ、この伝子さんの鋭い三白眼は自分のやましいところを全て見通している気がして、
は視線を避けるようにそっと顔を伏せた。



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